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#108 結婚8年目、誕生日の憂鬱

7年前のカードは、マットな色でぺったりと描かれたショートケーキの隣に細く金色でHAPPY BIRTHDAY TO U とプリントされていて、中には夫の字で
「いろんな場所へ一緒に行こう たくさん買い物しよう たくさん笑おう」と書かれていた。

これをもらった当時のわたしはどう思ったのだろう。もうその瞬間のことは忘れてしまったけど、たぶんわたし達夫婦は買い物が好きだったのだ。
彼は今も買い物が大好きで、それを手に入れるために時間をかけて並んだり、丁寧に包まれ袋に入れられたそれにたくさんのお金を払ったりすることに喜びを感じているのだと思う。

世間でいう “物欲“ という類のものに操られているのか
はたまた “所有欲“ なのか

一方わたしの「ものをほしい」と思う気持ちは年々小さくなっている。ちょっと困る。なんで困るかというと、贈り物を素直に喜べなくて。あと、時々自分で自分が何をほしいのかわからなくて。
ものを贈られるともちろん嬉しいんだけれど、キュンとする言葉や時間をもらった時の充足感にえも言われない温かみを感じてしまって
唯々それの虜になっているだけなのかもしれない。

ものを喜べない自分自身に、すこし哀しいなぁ、自分はつまんない嫌なやつだなぁとしばし陰湿な攻撃をしたあとに、もらったものを繁々と眺めていて思ったのは

「ほしいものが今はないだけ」ということ

シンプルだ。

ちょっと前までは、何かを自分のものにすることで埋めていた心の隙間を自分で埋められるようになったのかもしれない。それとも隙間自体が減ったのか。いいことなんじゃないか。(わたしって実は自己肯定感高めなの?)

母親業をしているとどうしても禁欲的になりがちだと思う。だって自分のことなんて構う暇もないから!でもそれはそれで美しいことだと思う。でも欲は消えずにじっとそこにあって、埋まらないところを美味しいものやきれいなお洋服、友人とのおしゃべりで手っ取り早く「ならす」ことで凸凹した気持ちも滑らかになる。潤って、輝いて、幸福感が演出される。たぶんわたしは無意識にそんな幻想にずいぶん掻き回されてきた。
できている人は滑らかに見えるから。

そしてわたし自身も無意識に、満たされた人っぽく振る舞えるように凹凸を均していたんじゃないかと思う。ないことを隠し、余分なものを落とし、均一で整っていて、つるりんと困ったことなんてないみたいに。お化粧を施すように。


 誕生日にケーキはいらない、
 プレゼントも無しでいい、
 まぁ強いて言えばメキシカンが食べたいなぁ 
 近所の美術館でたっぷり3時間くらい過ごしたい

と言ったのに、仕事から帰るとプレゼントとケーキが準備されていた。


リクエストのメキシカンは食べに行った

待って欲しい、
これは決して幸せな妻アピールではない。

あぁやっぱり夫はものを贈ることで愛情を表現する人なのだと思った。そしてわたしは充実した時間で愛情を感じる人なのだと。ちょっと話している言語が違うふたりなんだろう。
初々しかったわたしは一生懸命夫に合わせたのだろうな。あなたの好きなものはこれでしょう?理解してるよ、とでも言いたげに!
今は「違う、それじゃないの」と言い放ってます。冷たいかなぁ。
側から見れば夫はかわいそうかもしれないけど、実際は互いにわかるように説明しないとすれ違って思いやりを無にしないようにという心遣いだ、と補足しておく。
嬉しいよ、ケーキ。ただちょっとだけ違うんだなぁわかんないかなぁと、もごもご飲み込んで、来年また「ケーキはいらないの、だからさ、あそこのお店のコーヒー豆買ってきて淹れてよ。」とか諄いくらい言ってみよう。
で、わたしは夫の誕生日にケーキを用意してプレゼントも準備… するんだろうか。(ため息)

るる


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