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#144 リストを終わらせたい症候群

朝からひたすらクッションカバーの商品画像を見比べていた。
連休が明ければじきに夏が来る、と急き立てられるような気持ちで。
そんな血眼にならなくたって、今日の今日まで健やかに生きていたじゃないの、と自分に向かって言う。自嘲ではなく、慰さめるように。

「掃除しなくたって死なないよ」という極論は時折耳にするけれど
わたしは死ぬな、と思っている。

実際、掃除なんかしなくても すぐに は死んだりしないだろう。
仕事なんかしなくたって楽しく暮らしている人も
音楽がなくても平気な人も
世の中には大勢いる。

でもそれらがなくてはならない人からすれば、「ない」ということはもう事件であって、日常じゃない。突然、空気の薄い部屋で暮らせと言われても面食らうのと同じくらい、むつかしいことだから。
つまりそれ含めて我が人生であって、と同時に、誰かの人生になど本当のところ用はないのだろう。

(ただわたしは、自分とは別なこだわりを持って暮らす人々に対するエンパシーや興味が著しく欠けている気もする。)


部屋にあるクッションカバーがちょっと冬っぽい素材だったとしても、たぶんわたし以外の家族はなんとも思わない。布団乾燥機をセットする時間がないまま出掛けてしまった日、ベッドに入って後悔するのはわたしだけに違いない。

ふだんの瑣末な用は、無遠慮にわたしの意識の多くを絡め取っていく。所詮、やらなくとも1週間くらいは問題にならない程度の用事。
広大な庭のある邸宅になど住もうものなら、わたしはエンドレスに湧き出る“瑣末な用“ によって気が違ってしまうかもしれないと時々想像する。それとも案外、図太くなったりするのだろうか。なってみたい。

「気になる・やっておきたい勢」が常時わんさかといて、仕方なしに順番をつける。それは優先順位だったり、単純に手をつける順番だったり様々に。
仕上がったリストはひと時の安堵をくれるのだけど、整理券を手に今か今かと自分の順番が来るのを待っているような雰囲気に耐えられずに1番目に取り掛かる。大体、掃除から始まる。終わりを決めておかないと永遠にやってしまうから、今日はここまで、と言って終わる。


今朝はテンポ良く5つ目までこなした。
が、6番目の「☑︎クッションカバーを注文する」がなかなか終わらない。まずい。夕方になって消せていないリストを見てピリつくのは避けたい。
とばして次へ行こうか、それともさっきカートに入れたのを注文確定してしまおうか。早く終わらせてしまいたい…!

・・・

こうやって文字にすると我に返って、わたしの毎日はなんと平和で暢気なものなのだろうかと笑ってしまった。
リストを手に部屋で突っ立っている時は、至って真剣なのだけど。

滑稽?いいえ。
無心になって掃除している時間が瞑想なら、今日は瞑想もできたじゃないか。花丸。
どっちでもいいことを愛して、悩んで、笑って、疲れるわたしを
わたし自身が慰めないでどうしよう。

そうしたら急に、明日できることは明日にしようと思えてきて
殺気立ってリストを睨んでいたわたしはどこかへ行ってしまった。

めでたしめでたし、って自分で締められることが
なんか良くない?

るる

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