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#154 蟻の夫婦をやめたときのこと

入院も6日目になり、ずいぶん慣れた。
固定がきつくて首から上の浮腫がどうしても気になるけど致し方ない感じ。

YouTubeやNetflixでも見たら、と夫がポケットWi-Fiを貸してくれたのだけど
どちらかというとわたしは自分の中のものを外へ出したいみたいで
文章を書いたり、写真を撮ったり、
そうかと思えばせっせとLINEスタンプを作ったりしている。
入院前にめんどうな諸々はなるべくなくして来た。


疲れたら少し眠り、本を読んで(もう何度読んだかしれない)、ベッドを整え、食事が運ばれてくる。

江國さんの「がらくた」に出てくるプーケットのホテルで
デッキチェアに足を投げ出して寝転んでいる気持ちで、爪先だけ日光を浴びる。
もっとも、つめたい白ワインもあさりのパスタもなければ夜風や波音を肌に感じることもないのだけれど、気持ちだけね、


「なつのひかり」と迷ってこちらを連れてきた


今日は少し風があって、田んぼがそよいできれい。
用事あり気にぴかぴかと陽光を反射して曲がる車を追いかける。ふと大人になってからこんなに何もしないでいる日があったかなと考える。

そうだ、出産でお世話になった時だ。

実家近くの産院は世にも美しい建築で、評判の先生が揃っていた。そして入院中には、食べたことのない様な素晴らしい料理が朝昼晩と出される、早い話が「夢の様なところ」だった。
お産は大変だったけれど、お釣りがくるほどの贅沢なリトリートだったと思う。

そこは母体の回復第一の考えで、午前、午後、夜間と赤ちゃんの預かりがあって
わたしは大変のんびりとした新米ママをさせてもらった。要は、ひまだった。

麗しい建築に触れたくて、窓からの景色に飽き足らず、まだ全然ひっこまないお腹のままうろうろした。水盤に煌めく水の陰影を、壁の隙間から床に差すまっ直ぐな光を、見事に切り取られた鮮やかな空を、何時間でも眺めた。

次にこんなに落ち着いた時間を1人で過ごすのはいつだろうか、おばあちゃんになる頃かもしれない
と考えていたのに

思いがけず今、過ごしている。
隔離された白い部屋で。


とても恥ずかしくてこれまで口に出すことも憚られたのだけれど、学生が終わる時に一番悲しかったのは「夏休みがなくなること」だった。
あのうだるような暑さの中、平然を装い
毎日職場へ向かう夏は大嫌いだった。

だれか強制的に休みにしてくれないか、
こんなに暑いのだから、みなさんうちで休みましょうと言ってくれないか
などとしょうもないことを考えていた。

女性は望む場合、この「強制的な休み」をとる機会があって、それは出産なのだけれど
わたしはだから、その日を心待ちにしていたのだった。不謹慎かもしれないが。
(願わくは病気や事故でないことが望ましい)

誰かの元で働くということは往々にしてその自由と引き換えに給与を受け取ることになる。でもわたしは、ずっとその自由の方が欲しかったのだった。

夫も同じ様にカレンダー通り毎日、降っても照っても出かけて行った。蟻みたいな夫婦だと思った。

わたしたち、時間を自分の手に取り戻すべきじゃないか?と決心して行動したのは出産してから5年も経った頃だった。


勤勉に働きに出ることを否定する気は全くない。
それは誤解しないでほしい。
でも「性に合わない」ことってどうしてもあると思うのだ。「みんなそうしてるから」選んできた生き方が、ー 言葉を選ばずに言えば ー 糞詰まった時
わたしはようやく目が覚めた。
あれ、わたしの知らない所で違う生き方で幸せに暮らしいている人が沢山いるぞ、と。

生き方も働き方も一つの正解があるわけじゃない。

危うく見えたやり方が、実は自分にはぴったりフィットするかも
安全に見えた道は、途中から陥落しているのかも


本当の意味でそのことを立体的に理解できた時、
これまで自分は「リスクを取らないというリスクを取り続けてきた」ことにハッとした。

そうなった時初めて身軽になれた。

もちろん、そこから全てすべらかに進んだ訳ではないし、苦しい期間もあった。でも人生そんなものでしょう?といつも誰かに言われている気がした。
なにもかもうまく行くなんて、そんなのないでしょう?と。


起きる全てのことにはきっと意味があって
最低だ、どん底だ、と思えることがあっても
そこから這い上がると新しく生まれた自分に会うことができる。その時死んだ自分にはちゃんとお弔いをして、「今までありがとう」と言えば良い。

あぁきっとわたしは、ここで生まれ変わるチャンスを受け取ったのだな。目を覚ませって言われたんだな、と思えると
面白い様に物事がスムーズに流れ始めた。

ずいぶん私自身に正直になったし
気持ちよくいられることを大切にできる様になった。

欲しいものを手に入れるために、一生懸命息を詰めて我慢するのが辛かったら
そのやり方はあなたに合っていないのかもしれない。
一度ぜんぶ解いて、手放してみてもいいかもしれない。

自分でできそうもなかったら、強制終了のボタンを押してみるといい。人にはみんな、そんなボタンがついていると思う。

立ち止まっても終わりじゃないし、脱落でもない。思っているより世界はそんなに狭くないから
肩に背負ったその荷物を一度、全部下ろして
良ければ隣に座ってくださいな。

ゆっくりお茶でものみましょう。


るる

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