#57 苦しい時に苦しい話をしようか
穏やかに過ごしたいと思うようになったのは
結婚してしばらく経った頃でした。
めくるめく刺激、鮮やかな感情、ドラマチックな展開
どれもいらないから
じんわり幸せだなぁ と言えるような穏やかさが欲しいと考えが寄っていき、肩の力もいい具合に抜けました。
小さくても確実な幸せを集めることが楽しいと思うようになりました。
きっとこの先、子育てのことで悩んだり揉めたり、思うように進まないことは山ほどあるでしょう。
角を曲がるたびに次の角が現れてうんざりする日もあるでしょう。
でもどんな時も家族でチームとなって補い合うことで乗り越えていくのだろうなとぼんやり思っていました。
まさかその根本が揺らぐことは想像しませんでした。人というのはそういうものなのでしょうか。
良い時には見えない景色はきっと、その時から実はそこにあったのだろうけど
見なくてもいいなら見ずに通り過ぎたい、
そう思って脇目も振らずやって来たつもりでした。
そうやって守ってきたわたしの小さな世界は
ある日あまりにも容易く壊れてしまいました。
思いもよらない陰鬱なものが次々とわたしたちを襲いました。
生まれて初めて、司法の力に守ってもらうことになりました。吹き荒ぶ嵐から身を守るには、強く頑丈な建物の中にいることが必要でした。
嫌な思いをしないために、家にいても感情に蓋をするようになりました。
なぜわたしがこんな目に合わなくてはならないの?と自問しても
くしゃくしゃになったティッシュばかり増えて答えは出るはずもありませんでした。
わたしの柔らかいところはじわりじわりと侵食されていきました。
負の感情は人をどこまでも空っぽにするのだと知りました。
一方で辛い時、あるいは辛いかもしれない時、
自分をそっと安らかにする方法は案外シンプルだとも知りました。
どんなに落ちても、えぐれても、
ニュートラルに戻るためには
心と体が健やかであることが何よりも重要でした。
これは発見でした。
食べたくない日は味がしなくとも少しだけ、慎重に体の欲するものを口に入れてみる
眠れない日は目を閉じて、眠っているじぶんを想像する
笑えない日は笑顔の自分の写真を見て鏡の前で筋肉の動きを真似てみる
初めはちょっと無理矢理だけど、それを続けていればなんとなくニュートラルに戻る階段が見えてきたりしました。
それでも容赦なくまた階段から突き落とされる時は
落ちていく自分を静かに受け止めて、
そこから新たに生まれた黒い感情には惑わされずに
怪我をしたところを確実に癒す。
結局その繰り返しでわたしは僅かにですが強くなった気がします。強くなったのではなく、弱くなくなった、というだけかもしれないけど。
そうやってわたしはわたしを労って、苦しいね、と声をかけて
今日からもまた静かに建て直していこうと思います。
苦しい時、苦しいことを認めて
親友に話しかける様に自分自身に「苦しいね」と言って寄り添ってみると
どうしようもない時も少しは息がしやすくなるかもしれないなと思って書きました。
苦しむわたしに、あなたに、届きますように。
るる
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