「話す」ことを、信じたい
昔から「話す」という行為が苦手で、話し言葉よりも書き言葉を偏愛する癖が根付いてしまった。
明確な理由やきっかけは分からない。
ただ、言葉の限界性を実感する経験が幼い頃から少しずつ蓄積されていった結果、徐々にこのような性格が形作られていったのだと思う。
その原点には、ある意味 "恐れ"にも近い感覚が存在している気がする。
言葉という移ろいやすいもので本心を包み込んだとき、本当に伝えたいことが思った通りまっすぐ届けられない恐怖。自分の思いが、意図せず薄まったり浅くなったり尖った