人が緊張するのは、能力以上の結果を求めるからである(週末日記#17)

最近、緊張を感じることが多々ある。この感情を観察してみた結果、緊張というのは自分の能力を自認せずにそれ以上を求めようとしている、欲張っているからだという結論に至った。

この記事では、そのような緊張の原因を解剖し、克服するために古典などから学んだ精神の自制の方法を記していこうと思う。

緊張とは

一般的な定義

「緊張」とは不安を感じて交感神経が優位になり心や体が張り詰める反応のことをいう。

精神的な自制が得意な人であれ、少なからず緊張を感じたことはあると思う。僕も良く感じる。

なぜ緊張するのか

では、なぜ緊張するのだろうか?

例えば、重要な試合の前、会社でのプレゼン中、初デートと、日々の中で緊張を感じる場面は様々だ。

緊張する原因を探り、理解することができればそれらのような重要な場面で空回りせず自分の全力を出せるようになるだろう。

僕は、歴史上の偉人や古典から学び、自分の生活の中でも思考を重ね、この緊張というのは「自分の能力以上の結果を求めている」ことが原因で発生することだという仮説を立て、それが生活の中で、ある程度の確信に変わった。

さらに詳しく説明してみる。

能力を自認する

緊張している時には普通「失敗したらどうしよう」「周りの人たちが自分に失望したらどうしよう」「自分の全力を出せなかったらどうしよう」などと思うのではないか?

これらの感情を分析してみると、全て結果というファクトを見ようとせずに、自分はもっとできる(できた)という妄想に依存していることが分かる。

失敗しても、周りの人が失望しても、全力を出せなくても、その結果が今のあなたの実力だ。結果が唯一あなたの実力を表せる指標であり、妄想はただの高望みに過ぎない。

ミスしたのも、あなたの緊張を克服する能力が足りなかったからだし、見ている人が失望するのもあなたの能力が、見ている人の評価基準に至らなかった(もしくはそもそも合わなかった)だけの話だ。

自分はもっとできたのに緊張して失敗してしまったからあの結果は自分の実力ではない。などという主張は言語両断である。

そういうことをよく口にしているあなたは、自分は未熟だ、ということを自認する必要があるのかもしれない。

緊張を和らげる思考法

では、この緊張を和らげる(完全に無くすことは偉人たちもできなかったようだ)ためにはどうすればいいのか?

それは自分の実力の最大値を出すこと、周囲の意見や評価はあなたが変えられるものではないということ、この二点を覚えておくことだ。

全力を出すことにだけ集中する

先ほども述べたように、過度な緊張は能力の最大値を引き出すための妨げになる。よって緊張を感じたらそれを抑制する方法を知っておく必要がある。

周りの評価や比較はあなたでは変えることができない事柄に依存するのだからあなたが考えるべきことではない。あなたは自分の全力を引き出すことだけに集中するべきだ。

それでももし、周りの結果や評価がついてこなくてもそれが現実だ。自分の努力不足でその評価になったと思うのなら、努力をするべきだし、評価する人とあなたの相性が合わなかったのならそれまでだ。あなたが全力を出し切ったのならそれが結果だ。

変えられるのは自分だけ

上記で述べた「人からの評価」というのはあなたが変えられるものではない。

人はよく自分が最高のパフォーマンスをすれば、それに伴った最高の評価がもらえると思いがちだが、現実はそう単純な話ではなく、もっと複雑だ。この世の中にそのような完璧な評価基準、制度というのはないと考えていいだろう。

例えば、評価する人が機嫌が悪い日を考えてみよう。いくら平等な評価をすることが大事だと知って意識しても、気分が落ちている時には悪い部分に目が行き、評価も下がる可能性があるのは明らかだ。ロボットでない限り完璧な基準に則った評価というのは不可能に近い。

人間による評価、ましてや普段の会話などというのはそれくらい気まぐれなものだ。

ここで言いたいのは完全な評価基準を作ることが大事だということではなく(もちろんそれができれば一番良いが)、そのような変えることのできない事柄に執着して自分の精神を疲弊させるのは無駄だということだ。

締め~人事を尽くして天命を待つ~

この言葉は、 「人間の能力で可能な限りの努力をしたら、あとは焦らず静かに結果を天の意思に任せる」という意味の諺である。昔の中国の儒学者である胡寅(こいん)という人が書い た『読史管見(とくしかんけん)』に記された言葉らしい(Googleから引用)。

個人的な話になるが、僕は、自身の生きる哲学として儒学を手本にしている。西郷隆盛、高杉晋作、吉田松陰などを書いた本でもこの諺は頻繁に引用される。

偉大な人たちは緊張をしないのだろう。と思ったことがある人は多いと思うが、僕はどんな偉人であれ少なからず緊張というものはあり、ある程度克服していたとしても、生まれた瞬間からできていたわけではないと感じている。

つまり、僕やこれを読んでくれている方が葛藤しているように、偉人たちも同じ事で悩んでいたに違いない。

そんな偉人たちが残した言葉というのは、表面上の意味に留まらず、さらに深い意味を持っているのは間違い無いだろう。

この諺を常に意識し、さらに奥深くにある言葉の真髄を悟ることができれば、いずれかは緊張を克服できるような、寛大な人になれるだろう。

では、次の記事で。

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