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すいかもまだ食べていない

2024.08.20

・先月、初めての写真展を終えてからなかなか整理がつかないまま、気づけばもう夏の終わりの風物詩、五山の送り火を眺めていた、点火した瞬間、まわりで一緒にみているひとたちがおぉーっと歓声をあげる、そしてたいていの人がスマホを出して、シャッター音を鳴らす、よく考えたらこの近所で夏らしい大型イベントなんてこれくらいしかないから、ふだんみない人の量が出町柳に集まる、伝統的な行事に対して、鴨川の河川敷はまるで、音楽フェスの会場みたいだ。

・そういえば今年は下鴨神社の夏の風物詩、「みたらし祭」と「古本市」に全然いけなかった、正確に言うと「行かなかった」の方が正しいのだけれど。原因は暑さと、尋常じゃない人の量だ。特に「みたらし祭」は本殿に入りきらないひとが、糺の森近くの鳥居のほうまであふれかえっているのをみて、げんなりした。お参りだけしたくても、本殿にすら入れないのだ。土日だったことを差し引いても、しかしあんまりだ。

・今年は相方のお盆休みの時期にあわせて休暇をとって、恒例になりつつある山登りに出かけた、今回は南アルプスにある小さな山小屋に泊まることが一番の目的で、その次の日は標高3,033mの仙丈ヶ岳を登る。今回も王道ではないコースで相方が組んでいたので、たくさんのひととすれ違うことのないまま、ふたり、林道や稜線を歩いていた。

途中ゆるい登りがきつくて岩に座ったとき、まわりの景色が自分と、相方と、周辺10メートルの範囲しかみえず、あとは雲に覆われていることに気づく。「目を閉じてごらん」と相方に促されて閉じてみる、すると「キーン」という音しか聞こえない、無音だ、この感じは久しぶりだった、どうして知っているのかわからない、でもそこには確実に音はない、怖かった、人間含め、世界は音に溢れているのだと思い知らされる。

風がさらに吹いて、目の前の雲がより一層深くなる、昔、雲の上でポンポンと跳ねるアニメのキャラクターをみて、羨ましかった、でも本物の雲は違う、本物は綿のような塊ではなく、雨粒の集合体なのだ。
風に吹かれて雲がやってくると、わたしはそこに手を伸ばした、「いま雲に触ってる!」と興奮気味に相方に話す、でもその雲は一切掴めることなく、わたしの指からすり抜けていく、なんだろう、この感じ、大きな塊で目は捉えているのに、実態はとても空虚だ、掴むことすらできない、そして何もなく通り過ぎていく、途中その雲が雨を降らせてきた、わたしたちは急いでレインウェアを羽織る、ザックがあっという間にぐっしょり濡れるほどの雨、でも雨の音、あれ、さっきはあんなに無音が気になったのに、気づけばまた、降りしきる音のなかで、わたしはまた歩き始めていた。

・あっという間に夏休みも終わった、すいかもまだ食べていない、文章にもまとまりがでないまま、地べたの社会で仕事が始まる、きょうは給料日だ、そういえば源湯で「夏休み企画」をやっていることを思い出す、そのために、山の上で夏雲を撮ってみたのだ、でも個人的な話で言うと、この夏にしたことは、先日、10年前の夏に書いた詩をある雑誌に投稿してみた、ふっと書いたものを思い出して、そう、個展をやろうと決断したくらいに、軽い気持ちで出してみたのだ。結果はまだわからないけれど、見忘れないように、手帳の未来の日付に書き込んだ、こんなふうに投稿することなんて、ご無沙汰だった、でも出す瞬間はとても身軽で、気楽だった、10年前に書いたのに、いまになって問いかけてきた、忘れられないものって一体。


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