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生き様 #明日のたりないふたり

「生き様」って簡単に言うけど、それは曖昧で、そのカオスを無理やり美化するための言葉だと、少し抵抗を感じていました。

でも僕は、初めて目の当たりにしたそのコンビの作品に自分でタイトルをつけるとしたら「生き様」という言葉が真っ先に浮かんだのでした。


「たりないふたり」の漫才ライブを初めて拝見しました。

若林さんが、漫才での普段の立ち位置である左側ではなく、右側に立っているが新鮮でした。

オードリーの漫才よりもボケる機会が多く、それはそれで生き生きとしているように見え、なんだかいいなと感じました。
時折、若林の身に"イタコのように"相方の春日さんが乗り移っているようにも見えたのも、漫才は生き物であることをみせてくれました。

山里亮太さんに関しても、事前にはあまり多くを知らなかったものの、その為人に興味を持つきっかけになりました。


今回は最小限に抑えたいくつかのツイートを見返すと、「すげぇ」しか言ってないなというぐらい「すげぇ」とつぶやいていました。それだけ感情が揺さぶられ、圧倒されたんだなと落ち着いてから気づきます。

ふたりが作っていた漫才は、一つの世界であり、生き物であり、作品でした。自分が伝えたいことをより面白く仕掛けを作りながら表現するあのふたりの姿には憧れすら抱きました。

1度で内容や伝えたいことを読みきることは苦手ですが、結局は「たりない」自分を「たりない」自分のまま受け入れて、それでも前を向いて生き続けるということを決意したという解釈をしました。

ふたりのようにがむしゃらに生きたい。

また誰かほかの人に影響を受け学ばされました。この世界には影響を与えてくれるひとがたくさんいて、そのたびに自分もがんばろうと思わせてくれます。

いつか「生き様」を口にできるほどの人生を今から作っていきたいです。

「たりないふたり」本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。

#たりないふたり
#明日のたりないふたり
#若林正恭 #山里亮太

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