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コロナ終息に反対するわけにはいかない

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上(ほぼ)毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:コロナ終息を願うしかない 】

昨日は、新コロの感染症分類が、現在の2類相当から5類相当になる(かもしれない)ということを書きました。

新コロ騒動が始まって約2年半が経過し、やっと、総理大臣が、感染症分類の見直しに言及できるようになりました。

あくまで、見直しに言及しただけで、5類相当に見直すと明言したわけではありません。とはいえ、5類相当に見直される可能性もあるわけで、本当にそうなったら、現在の新コロ脅威からは解放されます。

だって、5類相当になれば、隔離されることもありません。「濃厚接触者」なんてものもありません。

無症状で隔離されることもありません。熱があるなら、学校を休んだり、仕事を休んだりすることもあるでしょうが、症状が出ていないなら、同居の家族が巻き込まれることなんてありません。

だからこそ、2類相当→5類相当へ見直されれば、即、コロナ終息となります。

ただ、これまでコロナ警察が大騒ぎしてきたことを踏まえると、5類相当への見直しに対しては、コロナ警察が大きく反発することが予想されます。

コロナ警察は、たびたび、飲食店の営業や、マスクしていないことに対して、強烈なバッシングを繰り返してきました。

べつに、コロナ警察は、悪気があってしていコロナ警察をしていたわけではありません。

というか、「悪気」を抱けるのは、かなり少数派だと僕は思います。自分が悪いと自覚するのって、あまりにも苦痛なので、悪気を抱きながら悪いことをできる人って、ほとんどいません。

むしろ、最近の研究では、理性の役割は「自己正当化」らしく、したがって、理性的な人ほど、悪気を抱くのが難しいようです。

つまり、より理性が働く人(頭がいい人)ほど、自分の行いを正当化できるのです。

コロナ警察も、知的な能力が著しく低い人たちではありませんでした。コロナ警察は、感染拡大予防という大義名分のもと、この目的に少しでも反する行いを、厳しく取り締まっていたわけですが、知的な能力が著しく低いのなら、感染拡大予防という概念を理解するのすら難しかったとでしょう。

こう考えると、正当化できる限り、コロナ警察は活動を続けることができます。

しかし、コロナ警察とはいえ、永久にコロナを悪者扱いすることはできません。

だって、コロナの終息を否定することは、コロナ警察の存在意義を否定してしまうからです。

コロナが、人類の生命を脅かすからこそ、コロナ警察は、感染拡大予防を理由に、人々の行いを取り締まっていました。

人類の生命をいつまでも脅かし続けたほうがいい、なんてこと言えるはずもないので、コロナ警察は、人類の生命を脅かすコロナの終息を願う他ありません。

したがって、コロナが人類の生命を脅かさないと認められてしまうと、人々の行いを取り締まることは正当化できなくなります。

本音では、「いつまでもコロナ禍であってほしい」と思っている人もいるでしょう。人生に何の希望もない人にとっては、コロナが人類の生命を脅かし続けたほうが好都合です。

コロナ禍が続けば、人生に何の希望も抱いていない自分のことを考えなくて済みます。何もかもをコロナ禍のせいにできるので、好都合です。

とはいえ、それが本音だとしても、それを意識するわけはいきません。「何の希望もないから、コロナ禍がいつまでも続いた方がいい」なんて(意識的に)思ってしまったら、あまりにも苦しいです。

だから、「コロナ禍がいつまでも続けばいい」とは、堂々と言えません。

その結果、「コロナ禍は終わった方がいい」というのが、誰にとっても「正しい」意見となります。

コロナが、それほど脅威ではないという科学的な根拠は、毎日毎日蓄積されています。これだけ感染者が増えているのに、重症者数も、死亡者数も、めちゃくちゃ低い割合にとどまっています。

風邪やインフルエンザのウイルスと大きく違わないという根拠が、毎日毎日、マスメディアのおかげで積み重なってしまっています。

約1万2000年までの農耕革命以降、定住社会が現在まで続いていますが、定住社会と集団感染症は、切っても切れない関係です。

ジャレド・ダイアモンドという研究者が、今から20年以上前に出版された『銃・病原菌・鉄』という名著で、集団感染症が人類史に大きな影響を与えたことを、詳細にかつわかりやく書いてくれています。

定住社会に集団感染症は必ず存在していて、僕ら定住民は、集団感染症とは、折り合いをつけて生きていかなきゃいけないのです。

この定住社会のルールを無視して、集団感染症を否定すると、「定住社会から狩猟採集社会へ戻ろう!」というスローガンになってしまいます。

定住社会は、集団感染症の共存するという制約を最初から内包しているので、どこかで集団感染症と折り合いをつけなきゃいけないわけで、その「折り合いをつける」にすら反対してしまうと、定住社会にNOを突きつける結果になってしまうんです。

定住社会にNOをつきつけてしまう姿勢は、正当化するのが非常に難しいので、コロナ警察も盛り上がりに欠けると僕は思っています。

コロナが人類の生命に大きな脅威を与えないことが日々判明していて、定住社会というルールの中で折り合いをつけなきゃいけないウイルスだということが明らかとなっています。

定住社会にNOをつきつけることはできないので、折り合いをつけるほかないのです。

折り合いのつけ方をどうするかでコロナ警察も少しは活動するでしょうが、「終息」がゴールなのは皆一緒ですから、まあ、早ければ今年のうちに「終息(=5類相当への格下げ)」するでしょう。

そうすると、株価もばく上がりして、景気は上向くと思います。

コロナが終わったからといって、日本のガラパゴス化とか、終身雇用制を原因とする生産性の低さなどが改善することはないので、不景気を生み出す(というか、無意識に不景気を好んでしまう)日本経済の構造は変わらないでしょう。

ただ、コロナを気にせずに飲みに行ったり旅行に行ったりできるようになったら、そりゃあ、消費は大きく拡大するので、景気が一時的に上向くのは間違いありません。

結局、狩猟採集社会に戻るわけにはいかないので、コロナは終息するしかありません。

その後に待ち受ける一時的な好景気を楽しみながら、好景気のあとに必ずやってくる不景気に備えることにします。

景気が上向いている間にきちんと貯蓄して、円が元気なうちに(円が高いうちに)、ドルや株を買っておこうと思います。

コロナは終わり、景気は上向く。

そう遠くない未来に、こんな明るい現実が待ち受けていると思います!

それではまた明日!・・・↓

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