#111 うつ病は治らないー⑤

昨日のブログ(こちら)の続きです。

昨日は,うつ病リスクとなる他人軸思考から脱却するためには自己実現が必要と僕自身が思うようになったものの,その自己実現をうつ病に阻まれてしまうということをお話しました。

うつ病による妨害は,不可避です。なぜなら,このテーマの第1回目でもお話したとおり,2ヶ月も不眠の症状が出なかったのにもかかわらず,再び不眠の症状が発現し,朝5時まで眠れず不安に襲われるという事件が起きたからです。

こんな事件が起きてしまったとなると,もう,うつ病は「持病」なんだと思うようになりました。諦めの境地とも言えるでしょう。

僕としては,今後もやりたいことにチャレンジしていきたいし,まずは仕事に復帰したいと考えています。弁護士の仕事は,毎日法律の勉強をしなきゃならないところが楽しいし,法律に関する議論を,仕事として交わすのは,とっても性に合っていると思っているからです。もちろん,何もかもうまくいって,ずっと楽しいことばかりが続くとは全く思っていませが(そのことは,既に2年半仕事をしてきてイヤというほど理解しているつもりです),もう一度チャレンジしたいという気持ちの強い状態がキープされています。

ただ,この気持ちとは裏腹に,いつ調子を崩すかが全く未知数なのが,どうしても頭の片隅に残ってしまいます。多分,時間が経つにつれて,不眠の症状によって調子を崩す頻度は減ってくるとは思います。しかし,今回の事件の教訓として,いつ不眠の症状が現れるかわからないと「常に思っていること」が必要だと思うようになりました。

一応,言っておきますが,一晩眠れなくても,その翌日の仕事が全くできなくなることはありません。そのような悪い状態からは既に脱却できていると思います。去年は,一晩眠れないだけで,その翌日は何のやる気も出ず,判断能力も著しく低下していましたが,そのようなひどい状態からは脱しているとは思います。

だから,仮に一晩眠れなかったとしても,あまり心配にはならないでしょう。現に,突然眠れなくなったその日もブログは書いているし,何もかもできなくなるということはありませんから。2,3日もすれば,だんだんと体調も改善され,何の躊躇もなく眠れるようになります。今がその状態です。

とはいえ,「もう今後二度と不眠の症状は出ないよね」とは一生思えないのかもしれません。いわば「爆弾」を抱えてる感じです。毎日毎日何の問題もなく過ごしていたら,ある日突然,眠れない日がやってくる,その危険がないとは言い切れない状態がずっと続くような気がします。

もちろん,↑で書いたように,一晩くらい眠れなくても,仕事や生活には差障りは出ませんし,そもそも,うつ病じゃない元気な人であっても,眠れない日はあります。生きていれば,眠れない日はそりゃありますよ。

ただ,その眠れない日が来ると「またあのつらい日々に逆戻りしてしまうんじゃないか」という恐怖はどうしても生じてしまうのでしょうね。こういった「恐怖」や「不安」,つまり,「また頑張ることが妨害されてしまう日々がやってくるんじゃないか」という恐怖や不安は,今後どれだけ長く生きても,払拭されることはないのかもしれません。

まあ,将来のことは全くわからないし,それを今から心配してもしょうがない。もちろん,「もう大丈夫だ!」と思えるような状態になったら,それは本当に素晴らしいことだとは思うのですが,僕は既に「もう大丈夫だ!」と思った後に大丈夫じゃなかったことを経験していますから,なかなか「もう大丈夫だ!」とは思えないでしょう。

むしろ,僕の人生哲学としては「いつ調子崩すかわからないからこそ,もう大丈夫!と思うんじゃなくて,調子を崩したときに過度に不安にならない・過度の恐怖を感じない」という風に思っておくのが適切なんだと思います。

こういった哲学を心に刻んでおこうと思ったからこそ,「うつ病は持病」と考えるようになったのです。「いつ調子を崩すかわからない」と思っておいたほうが,「もう大丈夫!」と思うよりも,僕の人生にとって良い精神状態と思うのです。

しかーし,ちょっと言葉汚く正直な感情を吐露すると

「あーあ,20代でうつ病が持病になるなんてまじで最悪だわ」「最悪最悪最悪」「これから人生長いのにずっとうつ病爆弾が頭の隅っこから離れないんだろうな」「もっと頑張りたい!一生懸命やりたい!と思っても,あんまり頑張り過ぎたら調子崩すリスクが高まることが頭をよぎって躊躇するんだろうな」「いやいや大丈夫!ポジティブにいこう!と思って頑張ったとしても,なおかつ,やろうとしていることが好きなことだと確信していたとしても,爆弾が出てくることかあるかもしれないんだろうな」

もしそうなったら,めちゃくちゃ悔しい。悔しくて悔しくて泣くだろうな。好きなこと頑張ることを,再びうつ病に妨害されたら,それは本当に悔しいだろう。

「なんでだよ。好きなことを頑張っていただけじゃないか。好きなことを頑張ることすらできないのか。せっかくうつ病で自己実現の大切さ,というか自己実現こそが人生と思えるようになったのに,またうつ病に妨害されてしまうのか。自分の意思とは関係なく不眠が訪れるのに,メンタル弱いとか思われるのか」

こんな気持ちになってしまうだろうな。

ほんとうに自分の意思とは関係なく調子を崩しているのに,それが単に「メンタルよわw」と思われるのはめちゃくちゃ悔しい。

メンタル弱いと思われるのは,本当に本当にめちゃくちゃ悔しい。

こっちは「メンタル弱い」とか思ってるやつらよりもよっぽどつらい苦しい経験して,生きる意味とかどんなことを人生で頑張ろうとかそんなことを一生懸命考えて自分のために頑張っていて,「メンタルよわw」とか思うようなくそみたいなやつらよりよっぽど人生を謳歌しているのに,そして,調子崩すのも自分の意思とは無関係なのに,その体調不良を「メンタル弱い」であしらわれるのが悔しくて悔しくてたまらない。

「そんなやつらはきっといつか痛い目見る」と思うこともできるけれど,それじゃ僕は納得できない。なぜなら,そんなやつらはきっと不眠になることもなく,彼らの主観的には一生懸命に生きているんだろうから。今この瞬間に,そいつらはうつ病とは無縁の生活を送っているわけで,「いつか痛い目にあう」と思っても,僕の気持ちは晴れない。

僕の目から見れば,そいつらうつ病リスクに気づいてないだけと思ってしまうものの,不眠の悩みがないというただそれだけで心底うらやましいのです。不眠の苦しみを味わずに今この瞬間を生きていられるのがめちゃくちゃにうらやましい。

(かつては,僕自身が「そんなやつら」だったんだよなぁ。本当に恥ずかしい。子どもだったなぁ。こうやって成長していくのか。)

それに対して僕は,いつなんどき前触れ無く調子が悪くなるかもしれないという自分の持病を受け入れていくしかないなんてとっても悔しい。

なんというか,人間誰でも年老いてしまうように,人は,いつまでも二十歳の頃のように何の悩みもなく,のほほんと生きられるわけじゃないのですね。

はあ。人生は大変だなあ。

持病と一緒に生きていく覚悟はまだできていません。

うつ病を持病として抱えながら自己実現するのかあ。つらいなあ。

もう一生不眠の可能性から解放されないのかあ。あーあ。

眠れたら眠れたことに感謝しよう

眠れなかったら「持病だから仕方ない」と思うようにしよう。

持病って怖いんですね。改めてそう思います。症状が発現する頻度は減っていくけれども,その病気の根幹が治癒することはない状態ですからね。

譬えるなら,タンジェントのグラフと同じです。時の経過によって「治癒」軸に限りなく近づくけれど,「治癒」軸と交わることはない。どこかの時点で「寛解」とは判断されるのでしょうけど,それはやっぱり「治癒」軸とは交わっていない。

ふう。うつ病に限らず,持病とのメンタル面での折り合いの付け方についてググってみるか。

まだまだ気持ちの整理がつかないな。

今のところは,

・諦めながらもやりたいことをやっていく

・難しく考える癖があって,それはあんまり良くないのかもしれないけれど,やっぱり色々考えることが好きだから,これからも色々考えていこうかな

こんな思想で,これからもぼちぼちやります。

それではまた明日


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