【若手監督の宿命】ウィル・スティルが悩む壁
新しい学校、新しい学年、新しい職場...。「始まりの季節」と称される4月。例として欧米の学業における年度始めを9月に制定しているのに対して、なぜ我々の国は年度の始まりを4月に制定したのだろうか?
複数の憶測がある中で有力視されているものを1つ取り上げると、どうやら"農業"に関係しているようだ。
前年の夏に開幕した欧州のフットボールは4月になると、既にタイトルor降格が決定したり、デットヒートがさらに過激になるなど、情熱と共に終焉を感じる季節。
そんな4月の終わりを迎える今回照準を当てる人物は、伊東純也と中村敬斗所属スタッド・ドゥ・ランスの指揮官、ウィル・スティル。日本人選手が加入したことで注目度が高まったスタッド・ランスだが、「結果のみで」評価されがちな若手指揮官がいまぶち当たっている壁について吟味していく。
クラブ記録を打ち立てた"Nextナーゲルスマン"
伊東純也と"同学年"の若手指揮官が、なぜ監督職を目指したのかについてはもう語る必要はないだろう。復習したい方はぜひ以下の記事を拝読してほしい。
まずは、プロライセンスを持たない指揮官の下でリーグ戦19試合連続無敗という偉業を成し遂げた昨季をおさらい。
ウィル・スティルがオスカル・ガルシアの後を継いだ2022年10月。約1ヶ月後のW杯による中断期間(約1ヶ月)が彼のマネジメントにプラスに働いたのは間違いない。
上記のフォーメーションから、攻撃時は以下のような立ち位置を取るのが特徴的だった。
アンカーのマトゥシワがCB間に降りて、いわゆる“前線の受け口(4枚)”と調和を取るための “バックスの出し口”として中央に君臨。彼の近くには、クリエイティブ性を高めるならカユステ、守備強度を上げたいならロピを起用と、試合ごとに調整した。
伊東純也とトマ・フォケはポジションを交換しながら、各々がプレーしやすい環境を整えていた(今でもフォケが伊東の最大の理解者)。
そして、ウィル・スティルのスタイルの特徴の1つが本職守備的MFのマーシャル・ムネツィを1列前で起用したこと。
圧倒的なフィジカルと運動量を誇る彼をトップ下に置き、守備ではチームプレッシングにおけるファーストディフェンダーとなり、攻撃時は常時ボックス内に侵入してセカンドフィニッシャーとなっていた。
中断期間中に魔改造された彼は、今もなおウィル・スティルの戦術の核。誰もが伊東純也に目を向ける影で、最も重要な任務を託されていた。
さらに、もう1つの特徴は、最終的にフロリアン・バログンが点を取る文脈へチームを方向付けたこと。
現所属ASモナコで露呈しているように、彼の動きは基本的に彼が点を決める世界線しか描けていない。ウィル・スティルはそんな利己的な彼の長所だけを取って、うまくチームビルディングに染み付かせた(バログンに守備のイロハを叩き込んだのもウィル・スティル👍)。
そして、彼は最終的にリーグ戦21得点を決め、前任者エキティケの穴を大きく埋めると共に、アーセナルからの高いレンタル料に見合った成績を残した。
やや引き分けが多かったものの、2022年10月から2023年3月まで一切負けなかったスタッド・ランス。しかし、28節のマルセイユ戦で久しぶりに敗北の味を知ると、そこから溜まっていた疲労が一気に拡散し、以降10試合は2勝2分6敗という成績で尻すぼみに終わった。
"狙うは欧州"高い目標のチグハグ
最終的には11位という順位でやや失速した22/23シーズン。しかし、順位や19戦連続無敗という結果以上に、内容面で大きな進歩を見せたことを評価して、クラブはプロライセンスを取得した指揮官に23/24シーズンのバトンを引き続き任せた。
「目標はヨーロッパカップ圏内」。2000年代のスタッド・ランスを率いた監督でこの目標を立てた人物はいない。監督の野望にフロントは精一杯応える姿勢を示した。
得点源のバログンのレンタルが終わり、さらに主力のフリップやカユステ、ロピなどが各々ステップアップに成功。
チームを支えた彼らの穴を埋める戦力として、クラブレコードで中村敬斗、モハメド・ダラミー、ジョセフ・オクムの3人を獲得。レンタルバックや他クラブからレンタルした者を含めて、前任者の穴埋めを行い、スカッドの層はだいぶ厚くなった。
しかし、ウィル・スティルにとって最も誤算だったのは「得点源の不在」。PSMで結果を残したウマル・ディアキテは肝心のフィニッシュワークで体がもたつき、本職左サイドのダラミーはシュートのバリエーションに乏しかった。
さらに、バログンがいなくなった以上、相手チームが最も警戒するのが伊東純也の存在。
最もクリエイティブな選手に対して、大抵のチームは伊東が保持する右サイドに圧縮して徹底してプレーエリアを制限した。これに対するウィル・スティルの策として、同じく技巧派のテウマを近いポジションに置くスタイルは、残念ながら同等レベル以下の相手にはさほど効果が無かった。
昨季までは脳筋のバログンが点を取る文脈でマネジメントしていたチームをウィル・スティルは一度スクラップして新たな方向性へとシフト。
その特徴として挙げられるのが、オールコートマンツーマンのハイプレスからのショートカウンター。
*有名なガスペリーニのアタランタやこの動画の守備は、後ろに+1を作るのが特徴
スタッド・ランスの場合は最初にマークした人物を最後まで放さないスタイル
保持できても何も生み出せず、絶対的な得点源を欠いたチームの妥協策ではあるが、ウィル・スティルはお得意の分析を重ねて、自分たちの長所&相手の特徴に合わせたシステムを採用した。
自分たちの長所と相手の特徴どちらに重きを置いて戦術を練っていたのかということに関しては、基本的相手の布陣に対して属人的に対処するための布陣を主に採用していた(自分たちの強みは二の次)。
属人的にハメて、相手が不完全な状態のままハイテンポで攻め切るというスタイルは、試合の序盤では合理的かつエネルギッシュに選手たちの躍動感を見せつけていた。
しかし、そのオールコートマンツーマンハイプレス&ショートカウンターも当然長くは機能しなかった。
原因①:体力不足
マンツーマンディフェンスというのは、ボールの次に相手の位置に合わせて守備のポジションが決まるのが特徴。すなわち相手が動いているところに自分たちが合わせる必要がある。スタッド・ランスのハイプレスは体力が漲っている試合序盤こそ猛威を振るったが、時間が進むにつれてほとんど走れなくなって失点を重ねていた。
原因②:初期設定が崩れた際の対応力不足
オールコートマンツーマンプレスは1人が剥がされたら、それが全体の崩壊の引き金になりかねない。スタッド・ランスの場合は、相手がGKまでボールを下げた途端に(ほぼゴールキックリスタートの状態から)、相手の陣形に合わせてマーカーを定め、それを責任を持って最後まで放さない。
しかし、その属人的な守備が1箇所でも剥がされた場合にバックスの選手たち(とりわけフォケとデ・スメトの両SB)が目の前に(自分のマーカーとは別の)相手がいる状態で、自身のマーカーを捨てるべきか否か、判断に迷ってしまいずるずると引き下がって全体が崩壊するケースが散見された。
※状況は違うが、某両SBの守備力不足を知るには最適な動画⬇️
(「YouTubeで見る」を押してご覧ください)
この戦術は初見の相手(新監督や毎節選手や布陣をコロコロ変える相手)にはほとんど通用しなかった。さらに上記の弱点の他に、11月に入ってまたしてもウィル・スティルの戦術の鍵を担っていたムネツィが負傷離脱。チームとしての脅威は鳴りを潜めた。
最大の立役者を引き抜かれた“裏切り行為”
期待された結果と順位からはやや遠く、一時的に日本人選手とアフリカ国籍選手がチームを離れた2024年1月にウィル・スティルにさらなる試練が襲いかかった。
それは、チーム随一の守備者であるアゾール・マトゥシワの移籍。
マティッチが去ったレンヌに代役として迎えられたマトゥシワ。スタッド・ランスでは数少ない本職守備的MFとして、目立たないところでチームを支えていた。マトゥシワの特徴は、ウガルテのような目の前に来た相手をどしっと構えて対処する守備は苦手だが(それが早速バレてレンヌでは1列前で起用されている)、味方の守備位置に合わせた守備は得意としていた。
すなわち見えないところでチームを好循環に導いていた守備者が退団したことで、ウィル・スティルはまたチームビルドを新たに敢行する必要が。
ただでさえ、一部主力が離脱していた時期に主力選手を易々と放出する行為は、「ヨーロッパカップ戦出場」を目指すチームが成すべきこととは到底思えず、ウィル・スティルは珍しくフロントに不満を漏らした(選手売買がクラブの最大の存在意義ではあるが...)。
代役として加入したバンジャマン・スタンブリはとうに全盛期を過ぎており、尚且つ加入早々に負傷離脱という醜態を晒した。既存のアタンガナ・エドアも若さ故にボールに関与したがりで、余計なファールも多い(4月に負傷して今期絶望の見込み)。
さらには、テウマやリシャルドソンらも守備のポジショニング理解が乏しいことは夏の時点で証明済み(だからこそマンツーマンプレスを実行)。その影響で本来はもう1列前で起用したいムネツィを1列下げるしか選択肢がなくなっている現状だ。
つまり、マトゥシワがいなくなったことで、中盤の守備強度が低下したスタッド・ランス。彼の代役は不適任な者ばかりが多く、執筆時点で後半戦は3勝5分6敗という物足りない成績になっていることは不思議なことではない。
監督は会社に例えるとどの立場? 若さはネック?
いわばウィル・スティルはフロントの被害者だ。
「ヨーロッパカップ戦出場」を目指すための補強戦略を約束されていたはずなのに、それを嘲笑うかのような傲慢なフロントに彼は踊らされた。
ましてや、チームの成績があまりよろしくない4月中旬の段階で、スタッド・ランスのジェネラル・ディレクターを務めるマテュー・ラクールは「我々の目標は9位以内に入ることだ。」と当初掲げていた目標を変更した(チームの成績を吟味して目標を変更するのはよくある話ではあるが...)。
リスクがあるとはいえ、合理的な戦術を生み出したウィル・スティルはもっと評価されてしかるべきだ。以前開設していた私の質問箱にも彼の手腕に疑問を抱く声が寄せられたが、果たして彼以上の後任はいるのだろうか?
確かに短所までは補完できていないものの、選手の特徴及び長所を最大限に生かしてチーム戦術に溶け込ませ、尚且つ相手の分析も入念に行う能力の高さを誇る人物は世界を見渡してもそういない(しかし、彼は監督よりも分析官すなわち監督の右腕ポジションが最適であるという考えには同意)。
そして、ウィル・スティルにとって最大のネックであることは「若い」ということだ。
若い人物が重要な役職に就いてしまうことで起こる弊害は自明だ。
若さ故に、年上や上層部から舐められてしまうことは世界共通事項。例えば、今季のリーグアンではOGCニースにフランチェスコ・ファリオーリ🇮🇹(35)、トゥールーズFCにカルレス・マルティネス🇪🇸(40)らウィル・スティルの他に若手指揮官が台頭している。
カルレス・マルティネスに関しては、2022年12月にアシスタントコーチとして加入し、今季から監督職を任されているものの、会長の口車にうまく乗せられて、リーグアンでは最小の月給約2万€(約333万円)という低賃金で契約を結ばされている。
フットボールの監督業というのは、統計的に見ても相当難易度の高い仕事であることは明らかだ。しかし、皆様は監督という立場をどう捉えているだろうか?
私の愛読書の1つである「ジダン監督のリーダー論〜チャンピオンズリーグ3連覇の軌跡〜」では、監督という立場を、元プロ野球監督の故・根本陸夫氏の言葉を引用し、会社に置き換えてこう著述されている。
「ジダン監督のリーダー論〜チャンピオンズリーグ3連覇の軌跡〜」
フアン・カルロス・クベイロ著 タカ大丸訳
2019年11月10日発行 株式会社 扶桑社
監督というのは、課の部下すなわち選手たちとうまくやっていくこと(マネジメント)も大事ではあるが、補強等を敢行する上層部すなわちフロントともうまくやっていく必要がある、非常にタフな仕事である。
故にウィル・スティルは選手たちとはうまくやっていても、今回に関しては上層部の策に溺れてしまった感が否めない。仮に補強戦略の実権を握る申立てをしたところで、「経験の浅いお前が何を言うか」で跳ね返されてしまうだろう。
フロントに強く抵抗できなかったことで、今もなおスタッド・ランスの成績は下降気味だ。序盤の貯金で残留に無縁であるとは言え、執筆時点で残るはブレスト、マルセイユ、レンヌとの3試合。とりわけマルセイユとレンヌに関してもチーム状態が悪いとは言え、大きな期待を寄せることは難しい。
ウィル・スティルの最大の野望は大好きなクラブであるウェストハムの監督に就任すること。今季実際にサンダーランドFCからオファーが来たり、毎週末ロンドンにいる彼女に会いにユーロスターに搭乗したりと、彼を信じる者がいなければ、せっかくの優秀な人材を呆気なく他国に流出させてしまうかもしれない。
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