SING2感想

前作SINGが好きすぎて見たSING2。
二作目は駄作になるなんてジンクスを粉砕してくれた今作について、好きなところを語っていきたいと思う。
好きなものを語るのは健康にいい。

当たり前のようにネタバレしかない。


◆はじめ

あの瓦礫の中での一夜のライブから5年、劇場はかつての輝きを取り戻していた。
ただの素人集団だったメンバーもすっかり劇団員として活躍していた。(アッシュはロッカーとしてライブハウスが忙しいようで、マイクは……まぁその、生きていることを願う)
極度のあがり症だったミーナは歌姫として主役を張り、
真面目すぎて頭でっかちになりがちだったロジータは吹っ切れてキレッキレのダンスを踊り、
歌の才能はあっても楽器なんて触ったことすらなかったジョニーはすっかり歌えるピアニスト、
自由なグンターはいつも通り。
小さなバスター・ムーンが恋をした劇場は新生ムーンシアターとしてかつての栄光を取り戻し、チケットは完売、満員御礼。
劇団員も増えて、ナナもにっこりである。
ナナが……ナナがすっかり良い助言者なのが前作見てる人間にとっては感慨深いですね。
彼女はムーンの挫折も成功も、成功してからの彼の手腕もずっと見てきたから、贔屓目なしに応援してくれるんだなぁ……
スーキーに『三流』と言われて落ち込むムーンに「たった一回の批判がなんですか」と言う様は、描かれてはいなくとも脚光とともにあらゆるバッシングも受け止めてきたであろう彼女だからこそ深みがあるように思います。

……これは前作の話なのですが、ムーンも言うてかなり成長したように思います。
かつてのムーンと消えたマイクには実は似ている部分があると思っています。『才能と、才能を見抜く才能がある』『他人なんてどうでもいい(自分のことで手一杯)』が二人の共通点です。
ムーンは世間を相手にして挫折しミーナの歌に希望を持ちました。マイクは相手にしたのがギャングだったというだけで、あとはやってることはほとんど同じでした。他人を騙し、自分の夢のために利用したのです。ミーナの才能に目を開かれるタイミングが、マイクのほうが遅かっただけだと思っています。
その!ムーンが!!このメンバーならやれるとかつての仲間を信頼して、一人じゃなくて全員で次のステージに向かうだけで僕は……!!
スーキーはスカウトマンなのでムーン一人が才能なくて原石を埋もれさせているというなら、そう言うし、個別に声掛けをしたりするでしょう。
しかし、途中で帰るということは「所詮田舎の小劇場、素人あがりのアマチュア集団」と全体的に下に見られたということです。(このときのスーキーの判断は正しく、都会で通用するレベルではなかった)
ナナに激励され、悩みぬいて『5年前の挫折と成長を共に経験したメンバーならやれる』と判断したからこそのムーンの行動だと考えると感慨深いです。
かつての仲間が揃っていくのも良かった。
ギャラのやすさにアンコールを無視し、「どうすんだよ、アンコールだぞ!」のライブオーナーに「あんた歌ったら?」と返したアッシュのカッコ良さよ。アッシュ強火オタク大歓喜だよ。

いざ大都会

どうにかこうにかオーディション会場に忍込み、アイデアマンのグンターの一言からあっさりと決まってしまった「クレイ・キャロウェイ本人出演のショー」。
あとでも触れますが、恐らくジミー・クリスタルはこの時点で「俺はクレイ・キャロウェイのファンだ」と宣っていますが、実はそうでもないというのは後でわかってきます。ファンなら、本人出演のショーを駄目にしようなんて考えませんし、本人が出てきたら認めるはずが認めていないんですよね。あくまで『メディアにも露出しなくなった幻のロックスター再来』というビッグタイトルが自分の功績になると考えたからでしょう。これはルドヴィカの憶測ではありますが。

ともかく、なんとかチャンスは掴んだものの問題は山積み。
主役のロジータは経験したことのない高さから飛び降りるということにここで高所恐怖症を発症させてしまい、ポーシャの『おねだり』により主役をポーシャに奪われてしまい。
ジョニーはいきなり高難度のダンサー集団で基礎練習もままならないままイビリのような扱い。
ミーナはただでさえ経験のないラブシーンに、タイプではない男性と組んでしまいます。
クレイ・キャロウェイは妻をなくしてからは隠遁生活。恐らくはメディアや過激なファンを追い返すために、屋敷には様々なトラップが仕掛けられ、クローリーおばあちゃんは怖すぎてトラウマになってしまいます。魘されて可哀想な感じに……
そして、全体から感じるのはムーンたちを『なんの才能も努力もしてこなかったポッと出の井の中の蛙』と誰しもが思っているところです。
裏方、ダンスコーチ、そしてジミー・クリスタル。
ムーンも、スポンサーのクリスタルの言いなりになる他なく、もどかしさを抱えます。
スーキーの懸念通りと言ったところでしょうか。
ですが、そこはムーンたちですから、打開策をそれぞれ見つけていくことになります。

クレイ・キャロウェイ

この世界の国民的スターなのでしょう。
誰でも知っている、聴いたことがある。
そしてアッシュの憧れのスターでもあります。
そんな彼の歌は、恐らく全て妻に宛てたもの。
妻を失った彼はすっかり無気力になってしまいます。

途中、声ももう枯れたというシーンがありますが、大きなショックにより声が出ない・掠れるという現象が実際にあります。
また、これは特に言及されてはいませんが、はちみつ入りの紅茶について『はちみつ入りの紅茶は嫌いだ』というシーンがあります。
その後、妻の写真と窓の外を見ながら紅茶を飲んで考え込むクレイのシーンがあります。
これは推測ではありますが、はちみつ入りの紅茶はいつも奥さんが入れてくれてたんじゃなかろうか。
歌手は喉が命です。それに最後の歌唱シーンでは透き通った声が披露されます。
はちみつは喉を潤してくれるので、シンガーは好んでよく飲みます。
奥さんが、曲作りの合間にはちみつ入り紅茶を入れたり……とか。そんなふうに考えてしまいます。アッシュの彼女らしい優しさと音楽が少しずつクレイの凍りついた心を溶かし、最後には折れて出演にオーケーを出してくれます。

イケオジライオンのウィンクずるくない?

最後の、アッシュが歌い、観客(ファン)が歌い、それを聞いて涙ぐんでいる隣に奥さんがいるシーン。
セリフはありませんが「ほら、みんな待ってるわよ」という声が聞こえそうでグッときました。
歌はすべて彼女にささげたもの。
歌の中に彼女がいたのだと、ずっと生き続けていたのだと、そんな風に感じました。

ポーシャ・クリスタルについて(ジミー・クリスタルとの関係)

ポーシャについては作中であまりスポットライトが当たっていません。ともすれば“目立ちたがりの困った子“のまま、なぜか最後は協力的になったことだけがわかってさらっと映画が終わってしまいますが、実は彼女も彼女で劇中しっかり成長していると思われる表現がありますので、ルドヴィカなりに感じたことを列挙しようと思います。
なおこれは、クレイの記載同様、直接的なセリフがあったわけではないので考察になることは先に申し上げておきます。

ポーシャについて、急に「クレイのファンだ」「ロジータが高所恐怖症を発症して飛び降りられない」ということで出演が決まってしまいます。
ポーシャは吊り道具で飛び降りたいという彼女に、ムーンが「危ないよ、そんなのだめだよ」と言うと「パパ―!」と父親に言いつけるようにして自分の意見を通し、「彼女は飛べないしおばさんだわ、私が主役やる!」とあっさり主役をかっさらってしまいます。
まさしく我儘なお嬢様。
ですが、この時点で既に少しわかることがあります。
「やらせてやれ」と言ったジミーですが、ほとんどポーシャの方を見ずドーナッツを食べています。事前に安全装置の説明をしていたように、セットもある中でのバンジーは結構危険だったりします(それをいきなりこなしてしまうので、それはポーシャの“才能”なのでしょうが)。「できる」と思って言っているのだとは思いますが、一方で「駄目だというより面倒がない」「別に興味ない」ととれる対応でもあります。

その後の描写においても、豪華なクリスタル家では2人の部屋の描写しかなく、家族写真のようなものもありません。応接間にあるのはジミーの彫像くらい。
『離婚』したのかなと。事故や病気であれば、クレイ・キャロウェイのように幸せな時間は大事にするはずなので。そう考えると、ポーシャの立ち位置が少し見えてきます。
ジミーにとってポーシャは『お荷物』だったのかもしれません。
望むものすべてを与えるのは『溺愛』ではなく、『無関心』です。愛とは真逆の位置のもの。
世間体的にも『子煩悩』のほうが受けはいいでしょう。親権をとられたとなると“法的に見てもジミーに非があった”と解釈されるので、面倒だと思いながらも引きとったのかもしれません。
ポーシャには美貌と天真爛漫さがあり、顔が売れれば『使える』コマになります。
適当にご機嫌を取っておけばいつか使えるだろうと、そういった無関心さがうかがえるのです。

一方のポーシャですが、そんな父親の元で「欲しい」とねだれば全て手に入る生活をしてきました。
ですが、本当に必要だった『愛情』『親愛』の形は知らないまま過ごすことになります。
友達がいる描写もなく、誰かといる描写は父親かムーンたちのどちらかです。交友関係も制限されてそう。
山ほど買い物をしてスタジオに遅れてやってきた時にクローリーに怒鳴られますが、ぽかんとしています。咎められたことが無いのでしょう。周囲の人間はみんな父親を恐れて、ポーシャ自身には腫物のように近寄ってこなかったのだろうと察しがつきます。
“父親に愛されている自分”でしか自分を表現できない、ポーシャの孤独が少し透けます。
ムーンから役を降ろされた時の彼女のセリフで「みんな、私のことが嫌いだったのね!?」というシーンが有ります。
父親から受け取るものを(本当は違うものだけど)『愛情』だと思わないと生きていけなかった、否定された・叱られた経験のない彼女らしいセリフかなと思いました。

ただ、ポーシャ自身も芝居に関わることで何かが変わっているように思います。
最初はただ“楽しく歌って踊る”お芝居だと思って手を挙げたのは間違いないでしょうが。
ですが、作中の彼女をよくよく見てみると“もう一回やりなおし”と言われたら文句を言いながらも練習に戻り、クローリーに遅刻を怒鳴られても『怒鳴られた』などとは告げ口はせず、慣れないセリフを「航海誌って?意味わかんない」と言いつつなんとか覚えてきてはいます。彼女なら役者もセリフも「変えちゃおうよ」とも言えるのに、素直にムーンの台本に従っているのです。
もしかしたら、人生(狼生?)で初めて彼女は“頑張っていた”のかもしれません。
(彼女の中では)かつてないほど努力しているのに、ムーンからクビだと言われ(実際は誤解で“役の変更”というだけなのですが)、初めて否定されたショックでヒステリーになってしまいます。
父親なら舞台に戻してくれるかもしれないと告げ口しますが、ジミーから言い放たれたのは『俺を笑いものにした』という怒りの文言で、舞台は危機に陥ってしまいます。
ジミーは最初からポーシャを見ていなかったのです。『自分の娘がクレイ・キャロウェイという大スターの出る舞台で主役を張る』という華々し経歴が欲しかっただけなのでしょう。
それが叶わなくなり、あまつさえスキャンダルにされてしまった時点でポーシャは『用無し』です。ですが、親子の縁は簡単に切れないので、ジミーは『子煩悩な父』に加え『娘は悲劇のヒロインである』と広めて、ムーンを犠牲に、何とかポーシャがコマとして使える道を残そうとします。
一方のポーシャは、父親からも役立たず扱いされてしまい、ずっと泣き通しで引きこもってしまいます。
心中察するなら「努力が受け入れられなかったショック」「楽しみにしていた舞台が自分の告げ口でダメになってしまった自己嫌悪」「(皆に嫌われていたと思い込んでいるので)世界に独りぼっちのような孤独感」でしょうか。

それを呼びに来たのがクローリーです。
彼女の愛情深さはSINGでのジョニーとのやり取りを見ていてもわかりますが、最初にポーシャを叱ったのが彼女だということも大きいのではないでしょうか。
何を話したかは作中にはないのでわかりません。
けれど、きっと自分は誰からも必要とされていないんだと悲しんでいた彼女に『ショーをやりますよ!出番に遅れないようにさっさと支度なさい!』と言うだけでも十分じゃないかと思うのです。
舞台にはきちんと自分の役が、誰にも代わりの出来ない役が用意されているということが、ポーシャにとっては必要だったんじゃないでしょうか。
ムーンは「君の実力を見せつけてこい」と送り出します。
それが、主役でなくてもいいのです。他の誰かに簡単に代わりが務まる役でなければいい。
ポーシャはただ、誰かに自分を見てほしかったんじゃないでしょうか。
後ろにいる父親ではなく、自分のことを愛してほしかった、認めてほしかった。
だから、父親の静止を振り切って、一見ド派手で気味の悪いエイリアン姿でも元気いっぱいに歌って踊り切った後、拍手喝采に涙ぐんだのではないでしょうか。
はじめて、誰でもない“ポーシャ”が認められた瞬間だと思うのです。
それを気づかせてくれたムーンたちを大切に思うから、きっと彼女は一緒に街を出たのでしょう。

まぁ、長々書いたここまで、ルドヴィカの独断と偏見による考察でしかないんですけども。

最後の舞台


マジで最高のライブね……もう、何も言えないです。
クレイ・キャロウェイの登場の仕方嫌いな奴いる?????
ジョニーが立ち上がったところも最高に良かったし、ミーナが完全に恋する乙女だったし、ポーシャは元気いっぱいで最高だったし、ムーンを助けるために飛んだロジータが一回踏み出したらグンターとめっちゃ楽しそうに踊ってるの良かったし、アッシュ→観客(ファン)→クレイの登場の仕方鳥肌立つくらい良かった……
え……3見たい……
見たいけど3ってどうなるんだ?世界?
到達点としては2できれいに終われた気がするので……3でやることって舞台というよりはムーンが攫われたりするスピンオフ……?いやそれスピンオフでいいな。スピンオフでシーズン出て……みんなでクリスマスキャロル歌っt……あれ?もう出てる???

そんなこんなで最高の映画でした。
また見よう……

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