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【小説】(最終回)生かされているということvol.17

時刻は、6月24日午前11時を過ぎていた。


妻が手術室に入ってからすでに1時間を経過していた。

送りだす前に、手を握ったが、冷たかった。緊張して、血流が悪いのか、顔色も悪かった。


大丈夫だろうか。



午前11時半を過ぎても病室に戻る気配はなかった。


ナースステーションに行き、状況を聞きに行くと、


手術自体が長引いたが、無事終了したとのことだった。


よかった。


麻酔の効きが悪くて、思ったより長引いたとのこと。

やはり緊張が原因かもしれない。

本人は痛がっていたと聞いた。


え??


痛がったって??かわいそうに。でも命あるからこそ感じる痛覚。命あるだけ、生きているだけでもありがたいけど。。かわいそうに。。





手術が終わり、妻が病室にもどったのは12時を過ぎていた。そこから麻酔から覚めるまでに2時間半かかった。


意識がはっきりしてきたのは、16時ごろだった。


「痛かった」


妻の第一声は、「痛かった」だった。


今回の手術は、左わきの下に機械を入れるために、まず、ポケットをつくったようだ。7-8㎝程度の切り込みを入れ、皮膚と真皮の間の組織をはぎ取っていく。この「はぎ取る」のが痛かったようだ。


妻いわく、「ピーラーで剝かれている感覚だった」らしい。

緊張もあり麻酔が効きづらかったのではないか。


…がんばったね。と伝えることしかできなかった。



機械は、順調に動いているとのことだった。

埋め込み型AED(S-ICD)は、常に妻の心臓を監視し、心房細動が起きたときなどに電気ショックを与えるらしい。また、そのデータは、自宅に置く通信機から送られドクターと共有されるとのことだった。


それから1週間はベッドの上で過ごし、傷の経過観察となった。

ひとまず、今後生活する上での万が一の対処としての埋め込み型AEDははいった。しかし、依然として心房細動の根本原因は分からないままだった。


心配だった心拍数が急にあがることに関しては、回復期であるので、心配ないとの事だった。その後さらなる検査で24時間の心臓波形確認、10分ほどのランニングをしながらの心臓の波形も確認した。ともに、QT延長の波形は多少みられるとのことだったが、カリウム剤を摂取していれば問題はまずは問題ないとのことだった。


いよいよ退院の日となった、2つの病院を合わせると約1か月入院していた。


6月8日に倒れてから、生きた気持ちがしなかった2日間。その後の闘病生活。記憶保持の問題、心拍数の問題、そして、手術。目が覚めてからはあっという間だった。こうやって思い起こすことでいろんな思いやいろんなことがあったと改めて思った。



退院後の娘との再会は感動的だった。

娘は、これまでにないくらいに、溶け合うかのうように抱きしめていた。そして、我慢していたのか泣いていた。


娘にとっての母親の存在は本当に大きく、だれも代わってあげることはできないと改めて感じた瞬間だった。この瞬間の積み重ねを大切にしていきたいと強く誓った。




退院から、半年後。








第2子の出産がわかった。予定は2021年9月3日。

ドクターからは、出産については問題ないとお墨付きで安心している。現在は母子ともに健康だ。



妻の妊娠をきっかけに、この小説を書き始めた。そして、この小説をかいた最大の理由は、それは、倒れてからの1年目にプレゼントするためだ。これまで、自分の思いを吐露することは得意ではなかった。ただ、今回の病気をきっかけに「時間」はいつまでもあることはない、「今」できることは今する大切さを知った。とくに思いは言葉にしないと伝わらないことも。


また、タイトルの「生かされているということ」は、この小説を書き始めたときにぱっと思いついたタイトル。「生きている」と思っていても、実は、「生かされている」ことが真理ではないかと妻の病気をきっかけに考えた。極端のことは言えば、空気がなくなれば死ぬ。地球に生かされている。人間関係でいえば、アイデンティティを作っていくのは、もちろん自分でもあるが、まわりの人や環境が大きい。つまり、今の自分があるのは、「生かされている」からこそだと思うようになった。

人はいつかは必ず死ぬ。これは、必然であり、そのために、人は「どう生きるか」を追求している。裏を返せば「死ぬまで生かされている」ということではないかと思う。生かされていることに感謝して輝いて生きたい。



最後までご覧いただきありがとうございました。




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