見出し画像

【小説】生かされているということvol.14

時刻は、6月11日午前7時15分を過ぎていた。

場所は、ECU・ICU前待合室。


記憶障害の心配は依然としてあるが、妻の命さえあればいいとはっきりと思えるようになってからは、気が楽になっていた。そして、妻の笑顔を見るともう大丈夫とさえ思えていた。(まだ目が覚めて2日目だからまだわからないが)


妻だけを考えることができればよいが、一家の長として現実問題に向き合わなければならなかった。


それは、これまで妻がしていてくれたことを自分がしなくてはならないということだ。


私は、フルタイム勤務で普段の帰宅は19時前が多い。妻は、パート勤務で、育休明けからは9時15分~16時までの勤務をしていた。


お弁当の準備、朝食準備、そして勤務前に子どもを保育園に預ける。16時に仕事を終えると子どもを保育園まで迎えにいき、帰宅。そして夕飯の準備、子どもと夕食(夕食の前には自分は帰宅)、子どものお風呂(タイミングあえば私が一緒に入る)、寝かしつけ等々。家事はできるだけ協力していたが、平日は妻がほとんどをしてくれていた。(これをほぼ毎日だから頭が下がる)


妻が倒れてからの1週間は母がいてくれ、私も1週間のお休み(社長直令でお休みをいただく)、そして娘も保育園をお休みしているので大丈夫だが、その後である。お義母さんが退院まで一緒に暮らしてくれることになったが、10時から19時までのサービス業の仕事をされているので、子どもの迎えは必然と自分になる。


仕事のやりくりを考えなくてはならなかったが、ここでなんとまた社長が8時から17時までの勤務の指示をくれたのだ!本当に有りがたかった。


一番のネックの「時間」がクリアできたので安心した。あとはなんとかなる!と思えた。


……

思い起こせば、色んな方の協力なくては、妻の入院中、退院後も生活・仕事ができなかった。感謝してもし尽くせない。

……


1週間休みをもらったとはいえ、仕事の段取りをつけているとすぐに昼の面談時間になった。



12時になったのを見計らって、妻に会いにいった。


なんと食事をとれるようになっていた。運ばれたときの挿管で口が切れていたがそれもほぼ完治して咀嚼もできるようになっていた。ただ、やわらかいものばかりだったが。


食事をとれるようになって妻は喜んでいた。「食べる」ということはこれほどまで大事なことであると妻を見て実感し、同時に食を大事にしたいと改めて思った。


心配している記憶は、やはりまだ定着はしていない様子。朝、話をした内容を再度話をしたが、初めてきいたような反応だった。きっと大丈夫と思っているが、心配は拭えない。


食事ができるようになって、問題が起きていた。








心拍数が異常に高くなるということだ。

安静時は問題ないが、少しでも動き始めると心拍が100をいきなり超え、120まで上がる時もあるらしい。(通常は60程度)




それは、大丈夫なのか?

時刻は6月11日12時を過ぎていた。











サポートいただいたお金が1,000円貯まるたびに、娘に絵本を購入し、また記事として紹介したいと思います。よろしければサポートをお願いします!