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「AIに支配される世の中」を恐れるのは逆になぜ??


最近…。

「傷ついた…」

という概念が、世代や個人によって異なることからか、
傷つくことを避けながらも「寂しい」と言ってみたり、逆に傷つけた側?はとにかく「即、悪」みたいにレッテルを貼られますけど、ハッキリとした線引きって本当に出来るのでしょうか。

まず、イメージとして「傷つける側」というのは、人によっては粗雑粗暴、且つそのような【言い方】、故に相手をねじ伏せた、みたいな、思想も含め
なんか「強いもの」が「弱いもの」を一方的にいじめた、と感じることから始まるのでしょうかね…。

では逆に「傷ついた人」って、「他を傷つけること」はしてないのでしょうか…。

※この話は、この日本国における、ごくごく身近な、それも刑事事件レベルのお話ではなく、法律で例えるなら「民事」に値する例としております。

・・あいつからこう言われて、(こうされて)もの凄く傷ついた…。

と騒ぐ場合、(成人以上です)あなたもその他に(同じ事象でなくとも)変則的同レベルで人を傷つけていること、いたことを自覚する必要はあると思いますよ。

それを自覚できたなら、最低でも「意識しつつ」他を傷つけることは少なくなり、自身が凹むことや傷つくことも少なくなくなるでしょう。

なぜなら…、「痛み」って、どのように発生し感じるのかが、人それぞれで違い、わからないからなんですよね…。

ちょっと、加害者を庇うような表現になってしまいましたが、人はいつ何時、どちら側にも立つ可能性はあると言いたかったのです。

そして、「こんなやつは居なくなればいいのに…。」(それ以上も含む)と、あなたが他を思ってたとしたら、必ずあなたもどこかから「あいつ居なくならないかな…」と思われての両想い状態ですので、受けた側にモヤモヤと傷つくメンタルなのでしたら、(あなたは神でも特別でもなんでもないのだから)他人には「謙虚な気持ち」と「感謝の気持ち」で接していたほうが「得・徳」なんですよね💕

それはいつの世であっても、対人関係において、少なくとも大きなトラブル(事件)には巻き込まれずにバランス良く生きていける手法だと感じますよ😊

・・そしてそれらが、「量子レベル」である程度判断が出来るとしたなら、
人と人との仲介者として、AIの方に論理的な説得や励ましのもと、気持ちをなだめていただく、という選択肢があっても良いのではと、ふと思ったんですよね…。

少なくとも現時点では「人間」から支配されている事実があるにもかかわらず、【もしこのまま進化したらいずれはAIが暴走して、人間が支配されてしまう可能性も…、もしそうなったら…】みたいなお話も聞きますが、不安を感じることは無いのかな、と…。

そういう話をする方には「あなたって常日頃、どこまでやましいことしているんでしょう??」と逆に感じてしまいます…。

如何様にもなってもない現時点で、「良い悪い・正しい間違い」とかいう以前のお話で、ですよ…。

本来「共存すること」とはどういうことで、自身はそれにどんなイメージを持っているのか、そしてそれが自己都合でばかり考えていないかも省みて、感じてみることは大事だな、と思った話でした。




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