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長女が産まれた頃のこと 1

今日は長女の定期受診。
長女は、23週5日で破水し、24週1日で産まれた。557g。健康ミネラルむぎ茶より軽い体重。
いわゆる超低出生体重児だった。
前のnoteで、私が産科の勤務経験あるとか言ったと思うが、言うのがカッコ悪いくらい破水に気づかなかったのだ。
所謂、前期破水というやつで、何かの拍子にチョロッと出る破水は、ようやく安定期に入った私に尿漏れと思われ(実際に妊婦あるあるである)、鬱々としながら尿漏れパットを買ったり、骨盤底筋群訓練をさせた。
それくらい、妊娠中の自分に何か起こることはないと油断していたのだ。そんな訳ない。日本の出産時の妊婦や胎児の死亡率が世界的にトップレベルなのは、ひとえに産科小児科医とコメディカルの努力の成果だ。これ、看護師の国家試験にも出ます。覚えてる。覚えてたのに、対岸の火事扱いしてたのは私です。すみません。
そんな訳で、尿漏れと思い込み、2、3日過ぎた頃、当時パートで働いていた産科婦人科クリニックで、私は、突然腹痛を起こした。腹痛と言ってもん?チクチクするな?レベルだったが、念の為にトイレに入ったら、うっすら出血してるじゃないか!となった。
さすがにその状態で放っておく程バカでもなかったし、即雇い主たるマダム産婦人科医に申告したらすぐエコーしてくれた。これは本当にラッキーだった。いつもめちゃくちゃおっかなくて、正直ヒステリータイプだった先生は、冷静に、いつもする嫌味笑いすらせずに、『おなかの水がほとんどない。病院に行きなさい』とだけ端的に言った。え?マジで?
そうたいして病院へ急ぐ私は、その日休みだった夫に移動中連絡した。羊水がないってことは、破水してるってことで、つまり赤ちゃんが産まれちゃうか死んじゃうかってことで、つまりすっごいやばいってことじゃん!!焦る私の電話にワンコールで出やしない夫。それもその筈。当時夫はめちゃくちゃブラック会社でこき使われて物凄く疲れてた。そんな夫に鞭を打つのは本当に悪かったが、焦っていたため私はめちゃくちゃキレていた。
仕方がないので一度家に帰り夫を叩き起こして分娩予定の病院に電話し、訳を話して緊急受診すると、愛想の悪い事務はともかく、状況がわかった医師が患者の順番をすっ飛ばして診察した。エコーしてくれた先生は若い女医さんで、見る間に青ざめた。『羊水がまったくありません。このままでは胎児が危ないです。でも、ここではこの週数の赤ちゃんは診られません』私が産む予定だった病院はだったけど、当時のNICUは30週以降の新生児しか診られなかった。
しかしとにかく、破水している以上、もう産むしか胎児を救う道はない。それくらいは役立たずの産科経験のある私にもわかる。
先生は続けて、この週数に対応出来るのは大学病院か県立の小児専門病院しかないとのこと。どっちが良いかと聞かれ、選ぶ余地があるのか?と思いつつ、近くの大学病院を告げた。でも正直、こどもが助かるならどっちでも良い。
そんな訳で、人生の分かれ道たる30分くらいが過ぎた後、県立の病院に私は救急搬送された。付き添いで乗ったことはあるが、自分が急患になるとは思わなかった。
夫と診てくれた女医さんも乗って、完全にドラマで見たことある!な雰囲気だったし、あまりの状況に私は思考が完全に乖離してしまっていた。そうでもなければ、ドラマみたーいとか先生忙しいのに同乗して大変だなーとか近くの病院の方が良かったなーとか思っている場合じゃない。
斯くして、県立病院に搬送された私は、緊急手術患者としてレントゲンと採血とルートキープをあっという間にされ、最後に確認のエコーをした。そこで、その時の先生に、今日はやめましょう、と言われた。え?は?
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした私と夫に、医師は『確かに羊水はほとんどないが、まだ陣痛も来てないし、胎児は問題なさそうだし、余力がある。週数的にまだお腹の中にいてほしいし、粘れるまで粘ろう』というようなことを言った。
凄えな、専門病院医師は。素直にそう思った。総合病院の先生なんかより産科的緊急の場数が違うんだろう。この状態でまだ粘れるのか。
私と夫は素人丸出し、私に至っては看護師である分馬鹿丸出しとも言える感じで先生の指示に頷くしかなかった。
しかし破水してた期間が不明瞭で炎症反応が上がっていたので、胎児の感染症をおこしているかもと言われた時にはさすがに腹を切ろうかと思った。いや、もうすぐ切りはするんだが。私の不徳の致すところとしか言えない話過ぎて、胎児である長女に土下座ものである。思い込み、ダメ絶対。これ、看護師の鉄則でしょうが。思い出しても今の長女に土下座したくなる話である。
取られた18Gは、そのまま抗生剤投与と陣痛予防の薬剤投与に使われ、そのまま私は入院となった。その時も私は馬鹿丸出しで、MFICU入院なのに、お金がかかるから個室は嫌だの言って看護師さんに呆れられた。また、ほぼ絶対安静面会謝絶の状態なのに、私の身内ともいうべき友だちの面会を強引に承諾してもらったりした。振り返ると、こいつホントなんもわかってねぇな、と陰口叩かれていたのは間違いないと思う。だって、私だったら絶対言っちゃうし。
しかし専門病院は、私みたいなバカ妊婦のことも見捨てず、毎日きちんとモニタリングし、診察してくれた。毎日少しだけど出血はしてるし、張り止めのせいで動悸は酷いし、その割に陣痛も出てきたしで、入院した途端にめちゃくちゃ重病妊婦になったが、それもこれもこどものためだし、馬鹿な私の埋め合わせだと思うと文句は言えなかった。

入院した日の夜、小児科の部長先生が病室に来た。曰く、23週と24週では予後が全然違うこと・生存率もそうだが、生きた後、どんな障害が出やすくなるかの話をしてくれた。机上の学習では知っていたが、我が身と我が子に現実に起こるとは思わなかった。しかし最後に、部長先生ははっきりと、『24週での出生生存率は全国では7割です。でも、うちは9割助けられます』と言った。これを聞いたときに、私は、手の平を返してこの病院に来てよかったと思った。先生には後光が差していた。

安静を守って3日の夜、どうにか24週を越えたところで、陣痛は来てしまった。張り止めも限界で、私は予定帝王切開なのに陣痛も味わうという損な経験をした。痛すぎて看護師にキレ散らかしたのは人生の数多い懺悔の1つです。夫は、付き添ってはいたが部屋の隅で知らん顔してたので、それはそれで一生忘れないし根に持ってることの1つです。

帝王切開は全麻だった。結論から言うと、楽だった。寝て起きたら終わってたし、その日は一日寝てた。軽い麻酔科医の『全麻いけそうだからいっちゃうね〜』を最後に、ホワイトアウトした意識がしっかり戻ったのはオペ後1日目。離床こそ大変痛くて午後からになったが、その後はまぁまぁ動けた。

そんな訳で、産まれた子を見にNICUに車椅子で連れて行ってもらったのだった。

長くなったから続きます。


余談だが、久し振りの休日だったのに、あっという間に嫁と赤ん坊が死にかけるという目にあった夫には悪いことしたなと今でも思う。クソみたいなブラック会社で働いてたのに、仕事終わりに遠い病院まで面会に来てくれたのも嬉しかった。
基本的に相性は良くないし頭に来ることも多い男だが、このことを忠犬ハチ公のように覚えてるから、私は夫とまだ夫婦でいるんだと思う。世の夫諸君、妻の妊娠出産時の関わり方で、夫婦の予後は本当に違うぞ。真剣に覚えてたほうが良いぞ。



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