見出し画像

就職活動として始まったモーツァルトの「御前演奏」

※本稿は『知ってるようで知らない モーツァルトおもしろ雑学事典』(共著、ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス、現在絶版)で執筆した項目を、出版社の同意を得て転載するものです。


まずミュンヘンで、初の御前演奏

これまでに見てきたようにモーツァルトは、幼い頃から類まれな音楽能力を発揮して周りの人々を驚かせました。そんな息子の才能に驚き、そして喜んだ父レオポルトは、モーツァルトが6歳になる頃から、彼を伴って各地へ旅行を行うようになります。敬虔なカトリック教徒だったレーオポルトは、息子の才能を神からの贈り物と捉え、それを十分に開花させ、広く世の中に知らしめることが自分の使命であると考えていたからです。 もっとも、旅先で開く演奏会の収入や、息子の将来の就職につながるかもしれない王侯貴族とのつながりを得ることへの期待があったことも間違いないでしょう。

こうして、1762年の1月から2月にかけて、モーツァルトの初めての旅行が行われました。これは、レーオポルトがモーツァルトと姉のナンネルを連れて、ミュンヘンを訪れたもので、2人の子供たちは選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの前で演奏し、評判をとりました。続いて、1762年の9月から翌年はじめにかけて行われたのが、第1回ウィーン旅行です。この旅行は、一家4人総出で行われ、レーオポルトはザルツブルクの家主ハーゲナウアーに、旅行中の出来事を随時手紙で知らせています。この旅行に対するレーオポルトの意気込みがうかがえます。その甲斐あってか、この旅行は大成功でした。また、旅行中の興味深いエピソードが多く伝えられていて、後世の私たちには、モーツァルトの生涯の中でひときわ輝かしい時期だと感じられます。
ここでは、そんな第1回ウィーン旅行から、モーツァルトの愛すべき人物像がうかがえるエピソードを、ご紹介しましょう。

天真爛漫な神童―女帝マリア・テレジアのお膝にのって......

1762年10月6日にウィーンに着いたモーツァルト一行は、すぐに王侯貴族との交流を始めます。モーツァルトの評判はたちまちに広がり、 レーオポルトは10日、1人でオペラを見に行った劇場で、第2皇子のレオポルト大公が、「見事にクラヴィーアを演奏する幼児がウィーンに来ている」などと、他の桟敷席に向かって喋っている場面に出くわします。さらに、その夜には、シェーンブルン宮殿に来るように、という命令が届いたのでした。そして、10月13日。この旅行のハイライトともいうべき、シェーンブルン宮殿への伺候の日を迎えました。このときに彼らは、皇室の人々から大変な好意を持って迎えられ、3時間ほど滞在したようです。 レーオポルトは、皇帝フランツ1世から直々に別室に呼ばれ、皇女がヴァイオリンを弾くのを聴かせてもらいました。

レーオポルトが伝えるところによれば、当のモーツァルトは、フランツ一世の妻で「女帝」といわれるマリア・テレジアの 「お膝に飛びのり、お首に抱きついて、したたか気のすむまでキスをした」(海老澤敏・高橋英郎訳編 「モーツァルト書簡全集』から。以下同様)のでした。

「女帝」マリア・テレジアとその皇子皇女たち

調子に乗って、皇女マリー・アントワネットにプロポーズ!?

さらに、最初期のモーツァルト伝の作者ニーメチェクが伝える、次のようなエピソードもあります(もっとも、モーツァルトは、10月13日以外にも宮殿に伺候していますので、この日の出来事かどうかは、分かりませんが)。

モーツァルトが、マリア・テレジアの部屋に入って皇子や皇女たちに囲まれたとき、彼は、磨かれてつるつるする床を歩くのに慣れていなかったために、転んでしまいました。そこへひとりの皇女がやってきて助け起こしてくれたのですが、その皇女こそ、のちにフランス王妃となるマリー・アントワネットでした。モーツァルトは、とても感動し、すぐにマリア・テレジアのもとに駆け寄って、彼女のその親切心を褒めたたえたのだといいます。

ちなみに、このときの出来事として、モーツァルトがマリー・アントワネットにプロポーズした、と書いている本もあります。 天真爛漫なモーツァルトのイメージにぴったりのエピソードとして、ご記憶の方もおられるでしょう。しかし、ニーメチェクの記述とは異なりますから、プロポーズしたというのは、後世のある時点で新たに付け足されたのでしょう。

歴史を飾る肖像画 「大礼服のモーツァルト」

さて、後日、マリア・テレジアは、皇室の主計官を通して、ナンネルとモーツァルトのために大礼服を贈りました。モーツァルト一行が好意を持って迎えられたことがこれによって裏付けられますが、モーツァルトは演奏だけではなく、その人懐っこい性格によっても皇室の人々の心を捉えたことが、容易に想像できます。

このときモーツァルトがもらった大礼服は、レーオポルトの手紙によれば「藤色のすばらしく立派な織物のもので、胴衣はおなじ色の波紋絹布で、上衣とチョッキは金モールで幅広く、2重に縁づけして」あるという、大変にきらびやかなものでした。 そして翌1763年、ザルツブルクに帰ったレーオポルトは、この栄誉を記念するべく、ロレンツォーニという画家に、大礼服を着たモーツァルトを描かせています。これは、「大礼服のモーツァルト」として有名な肖像画で、右手を腰に、左手を胸に当てたポーズをとり、すまし顔をしたモーツァルトの姿を見ることができます。

ロレンツォーニによる『大礼服のモーツァルト』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?