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使用価値の価値観〈2.幸せと使用価値〉

〈1.はじめに〉はこちら

私は幸せの社会を目指すために、使用価値という価値観を私なりに考察し、提案しています。この2章では、幸せと使用価値の価値観がいかにリンクしているのかを紹介します。
私は高校中退後、うつ状態を経験してから約5年間、幸福について探求してきました。大学に入学したのも、幸福を勉強したいと考えたためです。そして、自分なりに探求してきたなかで、幸せの社会の礎となる価値観として「使用価値」に出会い、いま構想するに至ります。

【2-1.幸せについて】

・幸せはその人自身の生に内在する
私が幸せについて考えてきた中で最も重要だと感じていることは、幸せとは外在的なものではなく、私たち自身の生のなかで内在的に経験されるものである、ということです。そのため、幸せについて問う際には、「幸せとは何か」ではなく、「私自身の生のなかで、幸せはどのように実感されるのか」という現象学的なアプローチが欠かせないと考えています。
(なお、「幸せとは何か」という問いでは、人自身に実感される幸せに迫ることはできませんが、幸せという言葉の言語的な意味や日本人の持つ一般的な共通認識の内容を明らかにすることができると思います。)

過去の記事:「“幸福”はなぜ存在しないのか。」

・幸福と快の違い
また、もう一つ重要なのが、幸福と快の違いです。
私は、「幸福」はことば/思考の次元と、身体/知覚-行動の次元が合わさって経験されるものであり、「快」は身体/知覚-行動の次元のみによって発生するものであると考えています。身体的な気持ち良さや生命的な仕組みによるものが快であり、幸福には体験に加えてその意味が決定的です。

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(「『こつ』と『スランプ』の研究」P93,図3-5を参考に作成)
例えば、食事において、ただ食べて美味しい/満足だと感じているだけでは快に該当します。そこに、食事に対して「記念日に家族と行きつけのお店でお祝いをする」という意味が加わることで、その時間は幸福なものに該当します。私は、幸福には体験だけではなく、その意味が必要であると考えます。

【2-2.幸福な使用価値の社会】

・幸福な使用価値
幸福と快(思考と身体)は人自身に内在するものであり、使用価値の領域です。上記の食事の例に当てはめると、お会計の1万円という金額が交換価値であり、「美味しい/満足だ」という快も、「家族と祝う食事」という幸福も、使用価値に当たります。
そこで、幸福と快の区別を使用価値に適用すると、幸福な使用価値と、快な使用価値があると考えることができます。
ここで重要なのは、ただ感じるだけにとどまらず、言葉にし、意味を構築するということです。上の図表で示したように、「身体」と「思考」をつなげ、体験に意味を付与することで、それは幸福な使用価値となるのです。

・意味は共有できる
意味の良いところは、他者に共有できることです。例えば、コーヒーを飲んだ「美味しい」という体感は共有できませんが、「深煎り独特のまったりと舌を包むほろ苦いコク」という意味は共有できます。同じコーヒーを飲んだとしても、その1杯の煎り度合い、お湯の温度、抽出時間など、全く同じものは生まれず、全く同じ体感を共有することはできません。また、全く同じコーヒーだったとしても、身体や味覚は人それぞれのため、感じ方は異なるでしょう。そのため、厳密には体感を共有することはできません。
しかし、意味は共有することができます。お互いに感想を言い合って、共感したりしなかったりすることができます。使用価値は、内在的で個別固有かと思いきや、意味によって共有/共感されうるのです。

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人々が自分なりに見出した意味や幸福を共有することによって、人それぞれの幸福な使用価値であふれる社会を目指すことができます。

・一人ひとりの内在的な幸福を目指す社会
使用価値は、一人ひとりの使用(身体/知覚-行動の次元、体験)と有意味性(ことば/思考の次元、意味づけ)によって、内在的な豊かさとして測られるものです。そして、使用価値を中心とした社会とは、豊かさを内在的なものとして捉え、人々の内在的な幸福を根源的な目的に据える社会です。
現在、このような社会思想に対立しているのが、交換価値の経済の上に成り立つ社会です。交換価値が目指すのは物的に豊かな社会ですが、私はすでに物的に豊かすぎる社会に突入していると考えています。実際に、モノや文化が生産されればすぐに消費され、再び生産されそれも消費される、というような無限の交換が横行しています(消費社会)。加えて、このような交換を追求する経済によって自然環境や資源が犠牲にされ、持続可能な経済への転換が求められています。
私たちは、ただ多くのモノを生産し消費し交換する経済ではなく、私たち自身が豊かさを実感できる経済/すでに達成された物的に豊かな社会を享受する社会、かつ持続可能な経済へと、経済のあり方を再考しなければなりません。
使用価値の経済において、供給側である生産は、使用者それぞれの使用価値を生産するために活動を行ないます。交換価値を積み上げることにより、経済規模を拡大させようとする経済成長主義や利益を追求する株式会社のあり方とは異なります。また、需要側である使用は、そのモノやサービスをより自らにとって使用価値が高くなるように使用します。さらに、使用価値では愛着や思い入れが価値となるため、モノを手入れしたり修理したりしながら長く使うことが目指されます。そのため、過度な交換(消費)は発生しません。加えて、人間の個体の生命を超えて存続する“世界”の考え方により、自然環境や社会を犠牲にした一過性の利益ではなく、よりよき自然環境や社会のあり方に対して活動することが促進されます。(これらについては〈4.使用価値と経済〉で後述)(“世界”の考え方については〈1.はじめに〉で前述)

・幸福な使用価値であふれる社会
さらに、この“幸福な使用価値”という価値観に基づく社会こそが、私が構想する幸せの社会です。“幸福な使用価値”によって、人々が自分ごとで価値を測ること、自分なりの意味を見出して豊かさを実感することが可能になります。さらに、使用価値の価値観に基づく社会によって、“自分ごとの価値”や“自分なりの意味/幸福”こそが社会全体の価値として認められ、人それぞれの“幸福な使用価値”にあふれる社会を目指すことができるのです。そのためには、自分なりの意味を発表しやすい社会、誰かの意味に共感しやすい社会、そして自分なりの意味こそが価値となる社会が必要です。
こうした考え方から、人々自身の使用価値を中心とし、人それぞれの幸福な有意味性で溢れる社会を目指して、使用価値の社会を提案します。

・・・

〈3.使用価値とは何か〉へ続く

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