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お人よし

コラム『あまのじゃく』1963/10/4発行
文化新聞 No. 4583


私の失言?に女房が”大むくれ” 

    主幹 吉 田 金 八 

 竹むら蕎麦屋の女将が突然死んだ。普段何でもなかったのに日本舞踊や長唄だか小唄だかの名取りで、あんなに元気だったのに四十そこそこでポッカリと逝ったと聞いて、脳溢血を心配する我々組にはショックであった。
 先月中旬に自動車に潰されそうになって肩を痛めて、肩を下にして寝られない。勢い、一晩中仰向けに体を動かさず寝ていたせいか、一昨日は首筋が凝って生まれて以来、肩こりの味を知らない私が、女房に首の付け根をアンマさせるという珍しいことが起こった。
 寝室を出て廊下に降りる途中、深呼吸や腕を振ってラジオ体操の真似をするのがいつもの例だが、なんだか体がこわばって動かすと壊れてしまうかのように感じられる。
 「もう俺も3年か5年で永いことはない」とは私は女房に「せめて行き先短いのだから、大概のわがままに苦情をつけないで…」、子供たちには「いつまでも親父があると思うな。早く親父なしにもこの仕事が続けられるように奮発しろ」との毎度の脅し文句ではある。
 しかし、この朝はもっと真剣で「 俺も遺言状を作っておこう」と、朝の食膳で言い出したのだから、女房とすればいつもの伝だと聞き流す訳にはいかない。
 そして、その後がもっと悪かった。「新潟の地所は〇子にやろう」と口に出したところ、女房はキリキリと柳眉を逆立ててしまった。
 この地所というのは県庁近く白山駅前にわずか15坪の地所で、私が将来新潟に進出する足がかりに数年前ちょっとしたことで買ってあるのだが、もちろん取るに足らぬ坪数で、これだけでは何にもならない。
 私が生きていれば何かと引っ掛かりがあるから生かす道もあるが、私がいなくなれば何のことはない。厄介ものなら、多少宿縁のあった女にやろうという、私にすれば淡々たる気持ちから出たのだが、女房にはそれがまたカクンと来たらしい。それにはそれで無理もない最近の状況があった。
 それは別の筋から、私が今、新津市に300坪ほどの地所が手に入りそうな交渉が進行している事態にあり、先方の物件が確実なら、私はすぐにも現地に行って登記の段取りをせねばならず、このことのために先方からも再三,
人が来たりして目下折衝中であり、これは完全な事業の野心のためであることが女房はまだ判りきらない。
 私は習い覚えた新聞経営のコツを百万都市を約束されている新潟市で実践して見たいというのが、この10年来の夢であり、そのための研究と捨石を打ったつもりなのが、女房は私だけを見て社会を見ないから、何でもかでも昔の女に結びつけて勘ぐってしまう。
 私の新潟進出の夢は、僅かに友人の一、二が理解してくれるだけで、家族全員が反対である。しかし、いずれは男の子二人が結婚すれば兄弟二人で、こんなチッポケな仕事では肩をぶっつけ合うことになるのは世間の例でもあるので、その一人の為にも新天地を見つけておいてやることが決して無駄ではないと思っているから、そのうち親父の遠大な計画に理解者が出ることを信じている。
 だが、今のところ女房はそんなことはわからないから、私にが新潟に行きたがっているのはただ女恋しさのためで、女房も子供も捨てていくつもりだくらいに考えている
 朝の食膳では子供たちがいたので、それ以上のことはなかったが、夜になって私が「あんまり早寝をしても昨夜のように寝疲れで肩が凝っていけない」と懇意な所でお茶でも飲んでこようと外出しようとしたら、女房の恨み言が堰を切った。
 「あなたはどこまでも私をいじめる。どこが気に入らないのですか言ってください」と、恨めしげに見上げる。
 「気に入らないどこではない。最高の女房だと思っている」と言ったら、「こんなに真っ黒になって働いている私には構わず、持っていても邪魔になる訳の物ではないものを一番先に他人にやろうと考える事はない」と言う。
 そこで、私は家族には働けば食える技術と教養と、ほとんど借財なしに十分働きうる場所さえ残せばよいという私の考えと、働き者の主人を失えば食べるのは金と財産だという女房との考え方のズレを気付くとともに、私の説明や教育のまだ足らなかったことの迂闊さに気づいた。
 しかし、そこで息をアトに引いては亭主のコケンが保てないから、ウジウジ女房のご機嫌を取らないで、後味の悪い思いで外出した。
 私は料理屋などで大金を使うのは至って嫌いな方だが、その夜は行きつけの酒場で、これまた女房にいささか物足らない知り合いと行き合ったので、「割り勘で福生へ行こう」と、マダムや女中まで誘って、初めて福生の外人相手の歓楽街をのぞき、「女房のやつ、まだ膨れているだろう」と深夜威勢をつけて帰ってきたが、女房は私のベッドの布団の裾を直したり、宵の恨み顔は忘れたようにしおらしく、「そんなに(オレを)大事にするなよ」と大笑いをすると、まだ胸が痛むので、こらえるのに大骨折りであった。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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