行き過ぎではない
コラム『あまのじゃく』1959/2/9発行
文化新聞第3163号
商業高校提唱する松田校長
主幹 吉 田 金 八
飯能で市立の商業高校を作ろうという動きが、一中の松田校長、同校PTAの幹部たちの間に芽生えて、市議会への陳情という段階にまでなったが、この目論見があまりに突然であったこと、PTAと学校だけのスクラムで市議会のある程度の勢力と結びついていなかったとの原因から、市議会が身を入れず、『計画がどうの、資料がどうの』と、姑が嫁をいびる様な白眼視的な態度でアラ拾いをして、結局はこの請願は市議会の総務委員会で『継続審議』と言えば体裁が良いが、今年の春からの開校には間に合わないこと確実の、実際には握り潰しの運命にある様である。
これは、一面松田校長やPTAの幹部のこうした大事業を構えるに相当する認識を持たなかったこと、政治工作の不十分に起因する物で、何もしない事を持って最大の能事であるとして、何事にも引っ込み思案、他人の盛り付けた据え膳を食っているのが安全第一という保身術と心得ている飯能人種の中にあって、この大事業を企画推進しようとした松田校長などの勇気ある行動が、実を結ばず仕舞いに終わるとあっては全く気の毒という以外にはない。
だいたい今度の商業高校問題の風あたりを見ると、「中学校は中学校の分を守ってさえ居れば良いので、例えば高校入学難の最大被害者は児童と教師であったにせよ、教室が3つくらい空いたからと言って、それを高校に転換しようなどという大それた計画を立てるのは行き過ぎだ」といった学校当局を出しゃばり視する傾向と、飯能市内にある私立の高校の当局及び後援者の市立高校の出現による自己の学校の経営への影響などから考察して、裏口の非難、こうしたものが、市議会の大勢を口でこそ教育の充実には反対は出来ないから、「ご説は誠にごもっともだが」と反対ではない態度を示しながら、腹の中では「まだ何もその必要はないのではないか」といった消極的を一歩も出ない考え方が、この商業高校を流産させる方向に持っていかせるのではないかと愚行される。
市議会の総務委員会では、「当地方の高校進学志望者の的確な数と既存の高校への入学率の数字を示せ」と言ったことで、請願代表の新井清平氏もたじたじになったらしいが、限られた財政で新規な事はなるべく見合わせたい勧進元の市側とすれば「入りたい児童が多いのに、施設がないので泣き寝入りになっているというなら考えようもあるが、何もそれほどでもないとすれば、巨額な市費を投入する必要もあるまい」と言いたいのも当然だ。
しかし、現在統計に現れている数字は、定員300名の飯能高校を本命として、川越男女校、川越工業、豊岡実業、所沢高校等をこれに続くものとして、この地域の高校進学者が教師の指導によって自己の実力と経済力環境を睨み合わせて志望校を決定するので、仮に市立の商業高校が出現したとなれば、「県立ではダメだと諦めた」組や「所沢、豊岡、川越に通わないで済むなら、何とか高校くらい」といった新しい志望層僧を開拓して、言うなれば、猫も杓子も高校を志すようになるのではないか。これを他の例に引き比べてみれば、飯能電話局の現在までの新規加入も申し込み者が「申し込んだところでとても物にはなるまいと」いう、諦めから300本せいぜいだったのが、市の促進委員会が音頭をとって勧誘すれば1200本にもなるという事と似ている訳である。
教育は元来が啓蒙事業で、腹が減ったから飯が食いたいというような本能的なものとは根本が違うのだから、卑しくも一つ学校を起こそうという意気は、「その地域の教育水準の向上」という大目的でなければならず、既存校で落ちる者を拾うというような張り紙細工でなしに、学校を作って商工の人材を養成し、企業の振興発展をするといった積極的な抱負と気構えがなければないと思う。
その点から見れば、「中学の教室が3つ空くから」などということを眼目の理由としたこの提唱は、いささか 現実に過ぎて理想が高く燃えていない観があったこと、心は同じだったかも知れぬが手段としては少しまずかった。
要らざることを主張した様にとられて、高い木は風が当たるので、松田校長が批判の立場に立たされ、一中の教育方針等にまで文句をつけられて、松田校長には誠に不運な話であったが、しかし、私は同校長の形式主義、事大主義はそれとして大いに特色だと思っており、自分の育てた生徒の進学に関連して高校の領分まで口走を入れたことも決して、中学校長として行き過ぎどころではなく、教育に忠実であればあるほど高校大学の末の末まで心配し、また、これが地域の文化高揚の問題として、中学校長の良心的な責任の一部であると解することに賛成する。
事なかれ主義で何事も頬かむりで、月給さえもらっていれば良いという教育者の多い中に、 事実はPTAの役員の協議に協力したという程度なのかもしれないが、松田校長が勇敢にこの大事業を目論んだという事自体に私は非常な興味と期待を持つものである。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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