先生にお任せします
コラム『あまのじゃく』1958/7/18 発行
文化新聞 No. 2968
我が身可愛さの横車に⁈
主幹 吉 田 金 八
東京都の教育委員会が各学校の教職員の一斉休暇に対する処分は戒告が大部分とはいえ、3万名にものぼる大処分で、政府の勤務評定に対する腰の座り方の強さを示しているものと言える。
政府とすれば勤務評定以上に、教組に巣食う先鋭分子と、それにつながる組織を壊滅させようという意気込みの程がうかがわれる。
これに対する教組側の反抗も、こだまの如く盛り上がり、都庁に押しかけて処分撤回を叫ぶ都教職員の数は2万名にも上ったと報じられている。
愛媛、和歌山の騒動がお膝元に迫ったわけで、東京に近い埼玉県民とすれば、全く問題が身近に迫った感じである。
この騒動は双方ともに政治的色彩が濃厚で、まさに国会では自民党の絶対多数に押し切られて、議会役員まで独占されるという一人相撲に終わった状態に押し切られた社会党が、社会問題として国会外で対決しているという図である。
すでに自民も社会も退引きならぬ旗印を掲げている手前、がむしゃらに自分の主張を押し通す以外に手はなくなった訳である。
折しも、暑中休暇に入って、学校の先生がいくらストライキをやっても父兄から文句の出ない時期ではあり、学校の先生も父兄や児童は味方にしておかなければ戦いの名分が弱いことは承知しており、休暇中のストは父兄から物言いがつかぬとあっては思う存分の闘いが出来ると言うものである。
理論と話し合いで、お互いが納得行かぬ場合は暴力にならぬ程度で、スト、デモなどは已むを得ない闘争手段だから、刀折れ、矢尽きるまでやってみることも結構であろう。
しかし、あくまでも教育のある人たちの間で起きた紛争だから、最後まで紳士的にやりたいものである。
警視庁を使って、教組の事務所や教員の自宅を家宅捜査するならば、策としては下の下である。
また、教員の方も、デモ、座り込みも暴力行為にならないようにしたいものである。
生徒が、尊敬する先生が棍棒で頭を殴られたり、押し合い圧し合いの図はテレビで子供に見られたくないものである。
さらに勤務評定に反対する教組に一言したいことは、筋の立った反対なら結構だから思う存分やってみなさい。
ただし、この反対闘争のために大事な子供の教育が停滞しては困る。争議方法として、次のような方法で実行してみたらどうか。
文部省や教育委員会の方針がそんなに気に入らず、この方針通りやったならば戦争を招来する結果が明らかだという、立派な根拠を全教職員が確信するならば、教組は日本中の義務教育を、文部省や教育委員から独立して思う侭にやってみたらよい。
これは随分乱暴な提案だから、世の父兄は、『勝手にやらせて赤い教育などやられては困る』など御心配するかも知れないが、私は赤い教育もあえて驚かない。
今のラジオやテレビの番組を大宅壮一氏は『一億総白痴化運動だ』と評しているが、あんなバカなものを毎日押し込まれるよりも赤い教育の方が、いずれかの方向に対して建設的だろう。
万が一にも赤い教育であったとしても、驚かぬ自信のもとに、まず教組に子供の教育を任せよう。
教組は義務教育の占拠独立の宣言をして、文部省がどんな教育方針を取入れ教育委員会が何を持ち込んでも相手にしない。
もちろん、現場の持分を投票によって再編成し、校長も主席も投票で決める。俸給は、一応まとめて国から貰っては来るが、教組が一番合理的、適切と思う方法で分配する。昇給も俸給も停給も自分たちが納得する方法でやってみることである。
この場合、勤務評定に反対して始めたことなのだから、口が曲がっても勤務評定に類することは出来ない訳で、勤続年数など無考慮で平等に分けても、誰も文句は言わず統制が取れるのならこれも結構である。
今の日教組の統制力と団結を持ってするならば、この位の事は出来そうなものである。
こうなると、父兄は一体どんな教育をするのかと一応心配だから、毎日交代で授業参観に行くだろうが、赤い教育でも白い教育でも1に2を足すは3であり、人のものを盗んだら泥棒である。
無い者はある者から黙って失敬して良いという道徳や法律は通用しない。頭を打たれたら打ち返せと言うか、先生に訴えると教えるかの相違で、理由なく暴力を振るった生徒の処置は、帰するところは大したことはあり得る訳はない。
これならば文部省、教育委員会無視の無抵抗の抵抗だから、公務員法には違反かもしれないが、全部が心を合わせてやった場合、政府も手が出まい。要は自分たちの月給が教組の幹部に握られて、仲間から文句不平が出るか出ないかである。
おそらく今の制度と同じ不平不満が出てくることは間違いないと私は思う。これで文句がなく、教育界が円満に行くならば、父兄としては敢えて何ら言うところはないと思われる。
和歌山の勤務評定反対闘争の資金に2億円を送ったというほどの強い団結の日教組が、自分で教育の権を握った場合に、今の団結が破れないかどうか見ものであると思う。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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