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読者と一身一体

コラム『あまのじゃく』1953/4/22 発行 
文化新聞  No. 688


的中した反骨予想

    主幹 吉 田 金 八

 22日の午後衆議院選の大勢が決した頃、本社に宝焼酎が1本届いた。酒屋さんもどこの人だかわからない人からの届け物だと言う。
 張り紙に『民主化の云々』本紙が今次選挙に、権力に屈せず終始したことを礼賛した即吟らしきものが書かれてあり、「自由人」と書いてあった。おそらく本紙の愛読者便りに再三投稿した匿名氏であろう。
 世人は本紙の投書欄が、社内で創作しているのだと曲解の向きもあるが、そんな小手先細工は本社では絶対にしない。
 その事は相対立両論を公平に採用していることで、この事は一度投書して見た方でなくてはわかるまい。さらにまた投書の原稿はどんな要求があっても社外の方には公開しないので、投書家は安心して良いわけである。今度の選挙では、地元の平岡良蔵候補に対する攻撃が殺到した。本紙も同様趣旨の投書の多いのに聊か辟易のほどであったが、投書の完全採用主義を声明してあるので、没書にすることができない。あまり毎日の投書が一方的なので、本社がセーブしているのではないかと痛くない腹を探られることも心配したが、その内に平良支持の投書もぼつぼつ出初めてホッとした。ところが反対投書に対する批判がまたまた殺到して紙面をにぎわしてくれた。その中には候補者及び側近の私行上に関する悪意に満ちたものも相当あったが、これらは伏せ字にしたり、削除、没書の憂き目に合った物も相当あり、これはやむを得ない処置であった。
 本社こうした読者より送られる声を察知して、平良氏の地元の人気が悪いことが予断出来た。しかもこの予断は投票の結果に歴然と現れて、本紙の予断が正しかったことを裏書きするとともに、本紙がいかにこの地方に根を張って読者と一心同体、気が弱くて公然と発表し得ないが、胸中に鬱勃としてわだかまっている不平不満のはけ口として、さらに代弁者として忠実であったかを立証し得た事は愉快であった。さらにまた新聞人として愉快この上もない事は、本紙の第2区の当落予想として平良、横川、平忠、次点松山が本命だが、大番狂わせの大穴は山口、松山、平忠が当選で、横川、平良の落選も無きにしもあらず、と断定したことで、大衆の自覚が深ければ大穴が出ることを予想した。
 本命は社交儀礼であり、大穴は本音を吐いたつもりであった。
 本社の限られた局部的通信網を持ってなど二区全般の大勢を掴む事は不可能であったが、本紙は時代の潮流を敏感に察知して、この大衆の貧困な時代に、いわゆる殿様候補がすらすらと楽勝はありえないと断じた事は、誇っても良いのではないか。本紙の如く日払い役の奥さんがやめろと言えばご亭主が「辞めてはいかん」と言い合う家が多いと言う。50円の新聞代も払いかねる階級が多いのに、殿様代議士がそんなに安易に製造される理由はないと感じたのが、庶民の心を心として大衆の新聞を持って任じる本紙の予想的中の理由である。
 私は今度の選挙で数名の人からは恨まれたかもしれないが、千五百の市内読書と、さらにそれを十倍する大衆の共鳴を得たことを確信している。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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