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ドサ廻りの役者 ②

コラム『あまのじゃく』1956/3/2 発行 
文化新聞  No. 2086


あたら水魚の機会を逸す

     主幹 吉 田 金 八 

 これでは陳情団も尻尾を巻かざるを得ず、『目的を達するまでは何度でもお伺いする』と捨てゼリフ(でもないだろうが、それに近いもの)を残して、おあとの面会に座を追い立てられて帰ってきたが、こう先方に条理があっては、もはや再度の出県も出鼻をくじかれてしまって、恐らく二の矢がつがえないのではないかとみられる。
 この市長、市議会の知事問責陳情団は、一体何の目的で行われたものであろうか。
 本当に居座り戦術までもして、県の施策誘致の収穫を得ようとして行ったとしたならば、あまりにもその手段方法の幼稚さに呆れ返らざるを得ない。
 仮に日セ誘致に大沢知事が尽くすべきを尽くさず、そのために飯能が莫大な損害を被ったとして見たところで『 お前が悪かったからだ。代わりに何か寄越せ』と言ってみても『申し訳ありません』と言って、赤字の県財政の中から飯能に対して表向きに特恵施策を与えることが出来っこないことは誰が考えても判ることである。
 大沢知事が飯能に日セを持って来ようとしたのは、別に県議会の意向を体してやった訳ではなく、『飯能も気の毒だから何かしてやろう。』ということは県会の同意がなければ出来る筈のものでもなく、知事が失敗だったとしても、それは知事が個人で責任を取る以外に道はない。
 個人の責任の取り方はポケットマネーで飯能が気のすむ見舞い金を出すか、県民に申し訳ないと言って知事を辞めるか、その何れかだが、今度の場合、そのいずれにもなりそうなほど知事が責任を感じていないことである。
 知事が堂々と県費である地域に特定施策を行うのは大義名分が必要である。
 飯能が火事で丸焼けになった、大水害を受けたという場合には、立派な理由で何億の県費を投じることも可能である。
 また、大義名分は便利なもので、鍛冶橋が老朽だとか飯能坂戸線県道が交通安全の見地から早急に改修を要するとか、割岩大河原間の橋梁が産業道路として急施を要するとか、市街の道路舗装化は駐留軍も要望しているからとか、そこへ行くとお役人は名義のこじつけは堂に入ったもので、無から有を生じる技術を身につけている。
 そこで、今度は手を変えて問責的態度でなしに『可哀そうだから、同情して』と泣きの手を用いてみても、事日セに関連させたら大沢知事も、出したい手が出せなくなってしまうのが、県政執行者として当然な態度である。今度の飯能式の行動は、いわば黙って手を握れば待ってましたと落ちる女を、真っ正面から『好きか嫌いか。嫌いならばどこが嫌いなのか、どこが嫌なのか』と開き直ったようなもので、下世話で言えば不粋も不粋、政治外交術から言えば下の下と言うべきで、どうしてこうもまた大根役者ばかり揃っているのかと、日高町の岡村町長辺りが飯能をこき下ろす材料を一つ加えたことになる。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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