見出し画像

麦もまた宜し

コラム『あまのじゃく』1951/10/10 発行 
文化新聞  No. 165


米価の操作は国民自身で…

        主幹 吉 田 金 八

 米の統制撤廃が自由党により行われようとするのに対して、民主、社会両野党が反対している。
 反対の理由は自由制度になれば米商人、ブローカーに儲けられてしまい、農民は米を安く買い叩かれ、消費者は投機の対象となるため、米価が釣り上げられ、ますます苦しくなると言うのにあるらしい。
 安くなれば農民が困り、高くなれば消費者が困り、「コッチ立てればアチラが立たぬ」の問題を、ドチラにも色目を使って、反対のための反対論だから辻褄の会わぬことおびただしい。
 「政府は、金持ちは米を食え。貧乏人は麦を食えと言っている」と感情論で民衆を釣ろうと言うに至っては、この反対の論拠も甚だ心細い次第である。
 米が高ければみんなで麦を食っていれば仕方なしに米の値段が下がるから、米が食えるようになり、アプレ成金がこれ見よがしに銀シャリを食っているのを、貧乏人の子が麦飯弁当を噛み締めて勉強するからこそ、野口英世が生まれ、福沢諭吉ができるのである。
 米の飯を食わねば死んでしまうと言うのならば、問題は別であるが、麦がありイモがあると言う事は、消費者の覚悟次第で米の値段を操作することができるということになる。
 微生物、動物から始めて人間社会を通じて食料の自給自足のできない集団は、日本だけ位のものであろうが、こんな不自然なこともないは無いわけで、猫の額のような国土を、軍隊で防衛しようと言うチャチな考えは捨てて、むしろ平和自由社会として世界に愛され、工業的に世界に貢献し、溶け込んでいく方が賢い考えではあるまいか。
 物の値段は政府が余計なチョッカイを出さなければ、何でも安くなることだけは確かである。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?