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一日女中の体験

コラム『あまのじゃく』1963/10/10発行
文化新聞  No.4588


可愛い我が子に料亭の女中修行?

    主幹 吉 田 金 八

 懇意な料理屋で女中さんの手が足りなくて困っている。勝気なマダムが歯を食い縛っているのを見かねて「俺んちの娘を応援によこそう」と言った。
 家に帰って「何事も人生勉強だ。手のない間だけ行ってやらないか」と話したら気持ちよく納得した。
 この料理屋は私が毎日のように出入りし、お袋もこのマダムと仲が良いし、気心や状態を知り尽くしている事が娘にも安心だったに相違ない。
 ものの十分も経たないのに支度が出来たことは何事によらずせっかちな私には何よりも嬉しかった。
 この娘は2、3日前にはお茶のお友達と上野の博物館の茶会に行ったり、お嬢さん芸だが、一通りは場所も踏んでおり、人並みの作法は間に合うという自信はあった。
 どんなとこに行っても物怖じしない経験を積もらせたいというのが私の願いであり、教育方針でもある。
 ただし、お嬢さん流のキレイ事では人生は済まされない。家ではケチンボな亭主が、料理屋では札ビラを切る男の心理をしっかり見抜くことを、家庭を持つ前に見聞しておくのも必要である。それには料理屋の女中さんの体験も悪くはあるまい、というのがこの突飛な思いつきであった。
 自動車で娘を送っていき、マダム、朋輩に引き合わせた。当然初めてだから持ち運び程度だろうが、女中さん、芸者衆が座敷にいる場合は取次だけ、お客だけだったら持って行った品を卓上にあしらわねばならないなど、私の知っている程度のことを教え、後はよろしくで娘を残して帰った。
 家に帰ったら妹の女子大生が、 姉さんが料理屋の女中さんに行ったことで不満顔だったと女房が報告した。まだ歳が若いし、充分理解できないのも無理ないと思って、家族中で失笑した。  
「卑しい筈の女中や芸者にしな垂れかかって、ヒゲの生えた偉い人が骨抜きになるのが世の中さ」と親父はゲラゲラ笑った。
 頃あいを見計らって様子を見に行った。
「今夜は平素の三倍もお客さんが来て大忙しだった。お陰で助かりました。とマダムや手伝いの小母さんたちから一斉に感謝された。娘のことも多分にお世辞だったと思うが「綺麗で気立てが良い、文化さんには似合わない良いお嬢さん」と総褒めにされて親父もヤニ下がった。
「みんな品行のよいお客さんだった。お座敷に顔を出すと『新しい子が来たのか』なんて顔を覗かれるのは恥ずかしかった。靴を出すのにあれでもない、これでもないで、端から出させられることもあったが、〇〇さんの息子さんは『僕のはこれ』と手数をかけず、やはり育ちの良いところが見えた。
 自動車が来たことを『お供が参りました』と言うんだって」など、珍しいことが面白く報告されて家中、興味津々であった。
 「今度は俗曲を習って芸者になって出て見たら良い」とは調子づいた親父の突飛な提案であった。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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