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新聞戦争の渦中にあって

コラム『あまのじゃく』1953/6/4 発行 
文化新聞  No. 784


求められる編集の公正さ経営の安定 

    主幹 吉 田 金 八

 ある東京紙の専売所で主任と雑談をしていた時、二十五、六歳の買物かごを持った若い奥さんがやってきて番頭と話している。聞くともなく耳を傾けると「私は1丁目の〇〇ですが、5月いっぱいお宅の新聞を取っていましたが、B紙の勧誘員が知り合いで『助けると思って6月ひと月だけB紙をとってくれ』と言われて仕方なく承知してしまったので、今月1月だけぜひ休ませてください」とあまり人擦れのしていない風なその女の人は、番頭に懇願していた。
 私とその専売所の主任の雑談の内容と言えば、「いかにして本社の割り当てを完遂するか」「景品で拡張した三月、四月、五月の契約期限切れを、どんな具合に切り抜けたか」「読者の落ちるのを食い止めるか」「もう一息で予定目標の〇千部になりそうだ」とか言う話題であり、共販制が崩れて東京各紙が専売制に戻って、必死の販売戦を繰り広げている際だけに、1枚の紙でも競争紙を圧倒して確保せねばならないと言う苦心談の最中であり、この専売所の番頭が、購読中止を申し込んできたこの奥さんを、どんなあしらい方で継続にもっていくか興味が持たれたので、話の方はお留守で視聴をそのほうに傾聴した。
 番頭君の曰く「販売店では本社に月25日に翌月の必要枚数を報告しますので、お宅の中止申し込みが25日過ぎでしたので、間に合わず、結局今月お宅で休まれと1部を販売店が背負わなければならない事になります。ぜひ今月は私の方をお取りくださって、B紙の方を来月に延ばして頂きたい。」
 番頭さんは主任から教え込まれたのであろう。決まり文句を繰り返して、何とか一部の減紙を食い止めようとする。「それは何度もB紙の勧誘員に言ったのですが、どうでも義理に責められてひと月付き合わねばならないことになったのです。ご承知のように安月給取なので、2つ新聞を取れば主人のお弁当のおかずを減らさなければならない始末で、ぜひ何とか今月だけ休ませてください」最後には若い奥さんは懇談から哀願へと態度を変えてきて、「私はもうこのことが心配で夜もおちおち眠られません」と言うに至っては気の弱いその奥さんが、おそらくB紙に攻め落とされて購読を承知してしまい、ご主人からそんなら「お前A紙の方を断って来い」と厳命されて、仕方なくこの販売所を訪れたのであろう。嘘のない態度が読み取れた。
 私には二百何十円かの新聞を二つ取る事を許されない日本の月給取の実情も、販売競争で身銭を切って、本社への納金を送っている販売店も本社も、全てがやっていくのに容易でない新聞事業の実態も知っているだけに、この勝負をしらばっくれて見ているに忍びず、それに私がいたのでは主任が七重の膝を八重に折っての哀願嘆願も、さらに場合によれば定価を一か月だけ値引きして継続させる様な苦し紛れの手も、使いにくいのではないかと思って、談判半ばにしてその店を辞退した。
 こうした例を見るにつけ、文化新聞は小地方紙といえども、未だかつて押し売りをしない方針を堅持しており、大新聞が百万石ならば文化新聞は十石何人扶持という小旗本に相当するかも知れないが、気持ちの上では王侯のごとく自負できるのだと思う。
 現に六月一日の本社への購読申し込みを見ても、五件の自発的な申し込みがあり、その中には元加治の平仙本家の使者が「誠に敷居が高いが、明日から私のところに五部入れてもらいたい。今まで元加治の方は配達が遅れる関係もあって、飯能から通う工員に文化を取らせて出勤時に持って来て貰うらう方法をとっていたが、1枚の新聞を雅雄さんや平田さんが「文化はどうした、どうした」と引っ張り回すので、事務の者はやり切れないから、五部取って各デスクに置くことにした」と内幕話をして帰った面白い例もある。
 落選した平岡良蔵氏も「ちっちゃい新聞」と呼んで本紙の愛読者であることは記者も聞いているが、あの選挙戦の最中、本紙を欠かさず熟読していたかどうか興味のあるところであり、一説には「あんまりひどい投書が出ているので近親者は文化新聞を見せないようにした」とも伝えられている。果たしてそのことが真なりとすれば、あらゆる外国通信から眼をふさがれて、ただ大本営発表と国内新聞の切り抜きだけを見せられていた日本の天皇と、軌を一にしていることを思い合わせて面白いことだと思う。
 私は技術や知識の面では大新聞や大新聞の記者に一歩譲るけれども、新聞社の心構えや押し付け広告等は新境地を進んでいることに確信がある。 
 本紙も倍版発行に際して、社の経営基盤を固めるために財界の有力者に定期広告を勧誘し、すでに気持ちよく平岡良蔵氏、市川宗貞氏などの承引を受け、平仙レースにも目下人を通じて申し入れてある。
 これらの財界有力者から毎月一定の広告料をもらう事は、決してこれらの権門に文化新聞が屈することではなく、「文化新聞は今までと同じように自由に、わがままに振る舞うことを前提」として、白紙のおおらかな気持ちでの支援を求めたつもりでおり、その点はおそらく前記の有力者たちにも分かっていただけると思う。
 ともかく人口3万5千の街に本社があって、46四裁の日刊紙を発行し続けている事は、全国稀有のことで、しかも定価は中央新聞に比べれば安いとも言えないが、群小地方紙中でこんな安い新聞は絶対にない事は、既に読者の知っている通りである。
 しかも本紙が何よりも自慢できる事は、読者と真に一身一体であることで、小なりと言え、これだけの新聞を毎日出して、有給の記者は2人しか居ないと言う点で、この事はおそらく世界の驚異では無いだろうか。
 さらに本紙が、どうやら紙面を塞いで行けるのは、本紙を自分たちの新聞として「言いたい事、書きたい事」を自由に書き送る熱心な読者が無数にあることで飯能地方民は「自分たちの力で」「こんな立派な新聞を持っている」と言う事を声を大にして世界に誇って良いのではないだろうかと思う。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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