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町田市長採点簿

コラム『あまのじゃく』1956/8/8 発行 
文化新聞  No. 2352


男を下げた知事への ”退職慰労金” 町田市長

    主幹 吉 田 金 八

 2日の飯能市臨時議会は、本会議に先立つ全員協議会で『市の赤字補填のために刈生市有林の伐採案』が市長私案として諮られたのだが、合併の時、旧南高麗村の持参金の山林であるだけに、この案が協議会に持ち出される事を早くも知った同地区の議員と有志が『全市の赤字埋めに切られたのではかなわない。刈生市有林は南高麗の地区的建設事業のために使用してほしい』という請願が出された。請願の取り扱いに関する申し合わせである「開会3日前」という条件に合わぬため、協議会でこの請願文を読む、読まぬで一悶着があった。
 結局単に聞き置く程度で、という前提付きで市長提案を審議した後で披露されたが、合併して一つの市になった後にも、持参金を特有財産かの如く思い込み、事毎にこれが潜在権利を主張する傾向があるのは面白くない。
 これは南高麗地区に限った事でなく、名栗私有林の伐採の際の第二区の如きもその例だが、これは少し考え方が違うのではないか。
 多峯主の学有林、有馬の市有林がすでに旧飯能町の特有財産でないのと同様に、刈生市有林も旧一町三ヶ村全体のものでなければならない。
 合併して一つの世帯になってみれば、借金も財産も共通であり、 嫁に来た時の持参金をひけらかす位なら良いが、その処分や利子にまで権利を主張する事はおかしい。
 そんな持参金が有ると無いとに拘わらず、地区の納税額がどんなに僅少であろうとも、全市の水準の土木や学校の施設は平等に要求し、これらに不公平をしない施設を市政を行うべきであって、これができないならば、一緒に世帯を持たねばよかったということになる。
 あくまでも持参金の先取り特権を固執するなら、南高麗から上がった税金で、同地区の住民の福祉を賄う。本庁の経費は人口割で各地区が分担すると言った、かつて税金逃れに表面企業組合といった法人格をつくり、その実いくつもの個人経営が内部に独立するといったインチキの企業合同法人組織のやり方で行くより仕方がない。
 これでは社会の共存共栄にはなっていかない。
 東京都に行ってみると、成木村のような辺境の道路もよく整備されて、都内の税金の大部分を千代田区、中央区あたりが収めていると聞くが、その恩恵はほとんど目に見えた税金を払わない成木村にまで及んでいる。
 一つの町、一つの市、一つの民族が国家を形成する以上、そんな些細な権利や持参金を主張することなく、もっと広い気持ちで刈生の旧村有林など持ち出さず、しかも小学、中学の校舎施設が本町や精明、加治に劣っている場合には堂々と主張をするべきである。
 これら南高麗地区の請願を受けた町田市長の態度は、まあまあ上出来と言って良いところであった。
 もう一つの公会堂の位置問題でも、市長は8点という点を貰っている。
 『委員会の答申を尊重する』と言うことは、答申通り西部に決定するということになるので、『あぁだ、こうだ』と決定に時を貸せば貸すほど、こんがらかる問題にトドメを刺した感があり、これは腰抜け気味の最近の町田市長には珍しい事である。
 関口市議が『もう一度、最後案を市議会にかけて』との要求に対して『その必要を認めない』と一度は確かに言っている。
 その後楽屋裏で、『ともかく、もう一度協議会に提案して決める』と言う事になったらしいが、そんな事は断然跳ねつければ10点ものであったろう。
 大沢全然知事への謝礼金5万円贈呈案は、まさに町田市長に大汚点を残すものであって、わずかの金で惜しいことをしたものだと思う。
 この謝礼金は形を変えた大沢参議院議員の選挙の分担金である。
 知事の退職慰労金は前議会で世間一般の通り相場が支出済みになっており、時過ぎたこの期において5万円の金を何もお礼として出す必要は毛頭ない。
 現職の知事を参議院への踏み台に使って、県庁の自動車と交通費、通信料を県民の負担で事前運動の役を果たした大沢雄一は、選挙費の後の後始末を、4割の反対党を含む飯能全市民から負担させたということになる。まさに飯能市は薄ノロの大馬鹿者だと軽蔑に値する。誤魔化しを食った訳である。確信派の市議は、こんな場合にこそ、身を張って反対すべきではなかったろうか。
 寺西市議が立派な反対理由を開陳したが、ただお義理と体裁に反対するといった弱いものであり、他に革新市議は何をしていたかと我慢がならぬものを感じる。
 町田市長、荒川議長は市議の大部分が、絆創膏の魅力で上原正吉を押した中で、孤軍奮闘大沢知事に力を尽くし、しかも世間並みの戦果を上げたのだから、運動費を身銭を切って黙っている方がずっと男が上がったと思う。
 惜しいとこで、採点票はゼロに戻った。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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