結婚はバクチ
コラム『あまのじゃく』1951/7/19 発行
文化新聞 No. 131
縁談の橋渡しを頼まれたものの‥‥
主幹 吉 田 金 八
戦争のため婚期を逸したという29歳の娘だが、どこぞ格好な処へ世話してもらいたいと言う申し出があった。女房の小学校時代の旧師の四番目の娘さんである。
来年には30歳の声がかかるとあって、親としても一日も早くと思うのも無理からぬこと。都合で子供さえなければ後妻でも、という謙譲さである。
会ってみれば、ふくよかな愛嬌のある良い娘さんで、物怖じせずハキハキと自分の考えも述べられるし、一応は世の中を落ち着いて眺めたといった危なげのない、むしろ筆者の見る所では将に嫁入り頃の娘さんであった。
両親とも教員、三人のお姉さんもそれぞれ学校の先生に嫁して、自分も専門学校を出て裁縫の先生を幾年かやった経歴もあるし、末の妹も某市の高等学校の教師をしているとか。一家揃っての教育者家庭である。
律儀一方と考えられる教育者家庭から、仲人役を持ち込まれたハッタリ人生観、バクチ哲学を信条としている筆者は、その娘さんを前にして、女房をオブザーバーに、人間の浅知恵、社会経済機構の危弱性、両性の優劣、結婚生活なしに人間の幸福は無い、結婚はバクチである、等々を一席ぶったものである。
二つ,三つ、頂門の一針といった反駁もあって、兎も角、そんな変わり者の記者に結婚問題を預けるからには、ありきたりの幸福が期待できぬと心得て、ご両親の納得を得てからいらっしゃいと、でまかせ談義を終わった。
新聞の宣伝的威力を認識してから、娘の縁談を頼み込む親御さん、どうやら何分よろしくと言う雲ゆきになりそうだが、そうなったらとならば、もろ肌脱いで危険にして幸福な相手を物色しなければなるまいと言うもの。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
【このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします。】
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