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ラジオ版について

コラム『あまのじゃく』1954/9/26 発行 
文化新聞  No. 1295


虫の良いお願いとは思いますが……

    主幹 吉 田 金 八

 本紙のラジオ欄について、『あんなものは不必要だからやめてほしい』という投書が相当あります。
 こうしたご注意も、文化新聞を日常坐臥なくてはならぬものとして愛読くださる読者なればこそのご忠告で有難く承っております。
 ただ投書者は東京紙の併読紙として本紙を読んでいられる方でありますが、世の中には330円の新聞が取り兼ねて、80円の文化新聞で間に合わせようとする階層も相当あることをご存知のない恵まれた方だという事です。
 現に本紙がラジオ版を載せ始めて『これは重宝になった』という声と、そのための紙数の増加とみられる傾向が、大体農村部ですが、顕著であるという事は、少なくとも社会主義の社会を招来しようと念じつつ、新聞経営に携わる者とすれば見逃せない事です。
 330円の東京紙の購読料が1ヶ月の家計の重荷だということは、誠に悲惨な日本の庶民大衆の生活を物語るものでなくて何でしょう。
 新聞雑誌は精神の糧ですから、少なくともどこの家庭でもこれ等文化費に2、3千円はかけられることが望ましいのですが、現に配達の子供たちに聞いても、80円の紙代を2度も3度も取りに行かされたり、新聞代をかき集めて払った後のガマ口を子供が覗き込めば、赤銭しか残っていない家庭がある事など聞かされるとき、金に困らない人達ばかりを相手にして商売をすることが商売の道として一番賢い筈ですが、金のない人達を対象とした、文化新聞の如きもあっても良いのではないかと思います。
 330円の新聞を取っても、読んでいる暇がない、中央のニュースはラジオで沢山、新聞は近所の事が判る文化新聞だけで良いという階層のために、市街地の併読の方にはご迷惑でも、そんな意味でラジオ版を「緩やかな気持ち」で見過ごして頂きたいと思います。
 80円の新聞も必要だという説の後でおかしな話になりますが、本紙は来月から日曜毎に大判4ページを発行して、定価を100円に引き上げさせて頂きたいと思います。
 この日曜大判の発行も、ご承知の通り最近の紙面から押せば、記事が載せきれないための自然的発展とはいかに厚かましくても申せません。要は新聞社の経営の打算からである事は正直に認めます。
 ここで新聞社の内情を申し上げますと、1ヶ月80円の購読料ですが、これは本社の直轄地域はこの金が丸々本社の会計に入りますが、地方の支社、支局は市町村の規模と読者層で多少は違いますが、支社、支局も、恐喝や広告の押し貰いをしないで、市内で新聞を売るだけで食っていくには相当の手数料がなければやっていけません。
 市街地のみに傾重していれば採算は良いが、それでは広告の効果が薄いので、広告を多く取るには、田舎にも相当の部数を売り込んでおかねばならない。必ずしも採算のみにこだわれません。
 そんな意味で地方行きの新聞は定価80円の時、本社に入るのは半分の40円である。
 40円といえば1日に割れば一円33銭である。
 この中に編集費、紙代、インク代、活字機械の償却、発送費が含まれるとしたら、1枚90銭の紙で到底採算が取れる筈はない。
 紙代と印刷代だけでも足りっこない訳である。
 しかもこれも過渡期には、我慢して押し通すことも発展への手段である。
 今度は20円の値上げ分は全部本社が取って、支社、支局、販売店の手数料は据え置きとする。
 これで月に約5円の紙代が増える代わり(もちろん印刷工賃も増すが)差し引きすれば、15円ほど本社の収入が浮く訳なので、これも数とすれば大きい事になる。
 本紙が現在の形の2ページから4ページに飛躍した時には、無理だという批判もあったが、分村、日セと問題が混んできた時には、紙面が狭すぎると考えた時代もあった。
 随分苦しいことがあったが、4ページをどうやら守り通し、さらに大判への段階に達したを平素のご贔屓に免じて、読者諸君から祝福していただきたいと思っている。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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