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歌を忘れたカナリヤ

コラム『あまのじゃく』1950/2/10 発行
文化新聞 No. 2


 統制経済の破綻

    社長 吉 田 金 八

 統制経済は戦時にはやむを得ざるものであったろうが、終戦と同時に一切を撤廃すべきであった。敗戦のため国家は滅び国民の国に対する債権は棒引きとなったが、国民を縛る統制法規は戦争中と変わらず存続された。計画経済を主張する社会党内閣は、自分の非力をわきまえず、戦時中統制経済の影に隠れてうまい汁を吸った味を忘れかねて、この制度が永久に続いてもらいたいと願う官僚と結んで、食料、繊維、電力、石炭、建築その他の統制の強化を企てた。
 狂人に刃物をもたしたと同様な官吏が経済の実権を握り、国民の生活を左右できる統制経済は、同胞が血で血を洗い、お互いをスパイの目で眺める不幸な状態を、終戦以来五年間も続け、生産の復興を阻んできた。
 石炭不足を口実に切符の割当制を続け、乗客を行列させ裏口切符の役得を狙った鉄道。
 ストライキと電力不足を理由に、停電を日常行事とし、需要家へのサービスを忘れた電灯会社、泥棒を捕まえるのが目的であるべき警察が捕まえれば何とかなりそうな経済違反の摘発に狂奔して本来の使命を怠った。
 産地で材木が余っているのに庶民住宅の復興の名を借り建築制限を強行して建築代書と取締官吏の役得をねらい大工その他の失業者を増大させた。
 配給店の看板に隠れて配給品の横流しと大衆へのサービスを怠った商人、これらは皆歌を忘れたカナリアであって大衆の敵として今後長い間我々の脳裏に明記されるであろう。

  よみがえる商道
 統制経済は物を生産しない役人と、それに寄食する団体役員の数を増大した。国民はこれらの人達を養うために、収入の大部分を税金で取り立てられ、中小商工業はまさに破滅しようとしている。
 中小商工業の不振は街に失業者の大群を放浪させ、国民の生活経済もまた死の前夜の感が深い。街には買い手のない商品が渦高く積まれ、売れ行き不振をかこっている。
 物の洪水と物価の底知れずの下落は、生産が増大したための物資過剰にあらずして、国民の窮乏化による消費の減退に起因する。
 官僚の金城湯池とたのむ統制経済も酒食を除いて続々と落城した。あれ程国民の手枷足枷であったマルコウ(〇に公の字)もあえなき落ち武者の姿である。
 現在闇が公定価格以上のものが何程あるであろうか。

  商工業者諸君!
 官僚という悪戯児の玩具にされ、滅茶苦茶に破壊された商工業の畑を引継がんとする諸君。
 苦しいのもここ数年の辛抱だ。福沢諭吉は士魂商才といったが、戦争に敗れてみて日本には士魂(武士道)がなかったことを発見した。私どもは商才(商道)をもって祖国を再建しようではないか。
 商人の祖国は限られた国土の上に存しない。中国の華僑を見よ。新設、薄利、勤勉、の前には国境はない。商道の前途は無限で明るい。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】 

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