見出し画像

いやな感じ

コラム『あまのじゃく』1963/10/28 発行
文化新聞 No. 4604


高貴な家系の知られざる悩み

    主幹 吉 田 金 八 

 天皇家第五女から島津家へ嫁がれた貴子さんを誘拐して、身代金5千万円を脅し取ろうとした一味が、事件の末恐ろしさから怖じ気をふるい、脱落した仲間の一人の自首から未然に発覚して主犯人等は逮捕された。
 このことを新聞で見て、「日本も外国映画並みになったもんだ」と、今更に最近のニセ札、草加次郎事件など、次々とたまげるような事件の続発に感慨を深めた。
 この調子で行くと列車ぐるみの強盗事件とか、航空機丸ごと強奪とかのアメリカ流の突飛な事件も発生しかねないのではないかと、映画やテレビの犯罪ものを、そのまま地で行く風潮に恐ろしさを感じた。
 天皇家から名門に嫁がれた箱入り娘の島津貴子さんなら、簡単な誘いなり脅かしで、誘拐、監禁することが出来るのではないか、また5000万円の身代金も島津家ならすぐ震えて出すのではないか、というのが首謀者の狙いだったと思える。
 昔はこうした高貴な階級が人々の羨望の的であったかもしれないが、最近の時世には天皇、皇族などというものは、誰も恨んだり、望んだりする者は恐らくあるまい。
 金を作りたい、楽しい生活を不安なしにやりたい、という望みは万人が望むところであるが、こうした貴族にはその面の不足はないとしても、日常毎日の生活に一般から別物に扱われ、奉られているような格好の、その実、看視されているような好奇心で覗かれていて、一挙手一投足が自分のものでない不自由さをかこっているのではないかと思う。
 例えばデパートに行ってもそれと気づかれれば人だかりがする。衆目が集中する。
 貴子さんがそうであるかどうかは知らないが、例えば八百屋、魚屋に買い物に行っても、近所の奥さんの陰口がうるさい。気にかけなければならない。
 こんなことは人間的な幸福を望み、普通の人の中に溶け込もうとする人にとっては、たまらない苦痛ではないかと思う。
 世の中には、人に尊敬され別格に扱われたい、一挙一動に注目を浴びることを望んで金バッジをつけたり、名誉職になりたがる人もあるが、それはその人がそうした神様扱いされることがないからの、未知の権門への幼稚な憧れであって、すでに永い世紀にわたってそうしたことに飽きている貴子さんなどの階級にとってみれば、権門なるが故に保証された裕福については、未練はあろうが、窮屈な階層に対しては出来ればかなぐり捨てたいと思っていられるのではないか。
 誘拐犯人としては高い身分、不自由ない家系、恐らく自由なる財産が転がっていると思って目をつけたに相違ないが、これは飛んでもない目違いだったと思う。
 もっとも、ハマで風太郎をしていたという知能を持ってしては、そんな風に考えるのも仕方がないであろうが、狙われた貴子さんこそ大迷惑で、記者のインタビューに答えたように「恐ろしいというよりイヤな感じがした」と言われたが、この『イヤ』という意味は多分に軽蔑を含んだものと思われる。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?