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忙しい新聞社の1日 ②

コラム『あまのじゃく』1954/10/26 発行 
文化新聞  No. 1320


好きで選んだとは言え‥因果な商売‼

    主幹 吉 田 金 八

 どうやら一日分の原稿が揃ったのは午後4時、その頃には大判の2ページが校正・差替えが済んで機械に載せられる。
 この機械は菊全判まで刷れる大きな機械で、この辺では、川越の青山印刷以外にはないと思う大きなもので、これで良しとなるまでには、男の手でなければ扱えない。刷りは駐留軍に勤めていて、休日だけアルバイトで勤務する人が来ないときは、女房がやるのだが、そこまでの段取りは私がやらねばならない。
 パターンバタンと大きな紙が全て出る様になったところに、岩附前署長が訪問された。
 編集室に私も編集主任もいないので、工場の中に入り込んできたのだが、あんまり忙しそうなので早々に帰えられる。女房が代わって本刷りにかかったら、どうした具合か紙を咥えるところの具合が悪く、所定のところに紙が出て来ないでローラーに巻きついたり、前方に出てきたりで具合が悪い。
『どれどれ。俺が代わってみよう』と女房に代わって刷ってみるがうまくはいかない。あっちをいじり、こっちをいじくり、刷るより止っている間の方が長い。
 この間に多摩版は別の機械にかかって、この方は順調に刷り進んでいく。5時頃になると文選屋の方は仕事が終わってどんどん帰ってしまった。
6時、7時、近所に祭典芝居があって、ドカン、ドカンと花火が上がっているのに、コッチはそんなどこではない。
 苦しみ苦しみどうやら片面が終わりそうになったとき、小さなネジが歯車の間に挟まって機械は大きな音を立てて止まってしまった。
 挟まったネジは取り出したが、その後はいくらハンドルを回しても紙を咥える胴がウンともスーとも言わなくなってしまった。
 さっきのショックで胴の内部が壊れたのかもしれない。さぁ困った。この分では明日の新聞はどうなるか見込みがつかなくなった。明日の新聞を待つ読者の顔が、目にチラつく。
 組版主任は印刷界30年もの熟練者だが、これも老齢で大判4版は相当の超過量。既に大判一版を残す程度まで組版は進んでいる。この主任と2人で機械をいろいろと点検して、故障の原因がわかって動き出したのは夜9時。
 この頃の工場は私と編集主任、助手の男性ばかり4人と、新聞社に同居している関係から、何時とはなしに発送を手伝ってくれるようになった森さん夫婦と、私の女房だけである。大判は今までのゲラ刷機には掛からないので、印刷機械が空いてからでないとゲラが出ない。
 大判2面の校正と誤植の差替えは普通のところなら一人で半日の仕事かもしれない。本社では出来れば30分位でやりたいところだが、それも無理で初校でも1時間はかかる。
 最近は読者から誤植、脱字の苦情も少なくなったが、少人数の本社の実態を見たらよくこれだけにできるものと驚嘆されることだろうと思う。
 しかもこれが時計を見ながらやる仕事である。10時半の積込み間に合うか、合わないかのときは記者が『伏字さえなければ良い加減で本番だ』と良心的な構成をしようとする編集主任に良い加減の仕事を強いることになる。
 この日はとても定時には間に合わないと決まったので、各新聞店に送る分とバスで他紙と併送する分だけを手配して、列車の方は諦める。
 駅から『新聞はどうしたか』と電話がかかるが、『12時までには持込めそうだから、明朝の一番にしてもらいたい』と頼む始末。
 最後の版が機械に乗ると、皆通勤者は帰ってしまう。後はこれで心配なしなるまでは記者の責任で、そのあとは女房が刷り、森さん夫婦が数えたり包んだりする訳で、その間にもベルトが切れたとか、機械が変だとか言えば食事中でも飛んで行かねばならない。
 『こんな苦労をしているとは世間ではわからないだろう』『これは商売だと思っては出来っこない。スポーツだよ。スポーツだと思えば何でもないよ』と人影がなくなった工場で機械にとりつきながら森さん夫婦と話す。『もう12時過ぎたから、駅は明日にしましょうか』『結局、そうするより仕方がない』
 こんな訳で、新聞屋たることも難しいかなである。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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