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再軍備賛成!

コラム『あまのじゃく』1956/2/13 発行 
文化新聞  No. 2069


400億を秀才教育費に

    主幹 吉 田 金 八

 鳩山総理が再軍備のために憲法の改正をしたがるあまり、国会で失言し、あの好人物を謝らせたのはお気の毒千万の次第である。
 日本の武装再機を恐れて、武器と名のつくものは火縄銃まで取り上げたアメリカが、今度は 金や物を貸してまで日本に軍備をさせようとするのは、大統領が変わっての政策とは言いながら、お天気よりも甚だしい変わり様で『人をオモチャにするな』と言いたいところである。
 しかし、非武装の気安さと戦争の苦しさが国民の脳裏から離れないこと、罪のない殺戮の惨たらしさに対する人道主義から有識層が戦争反対、再軍備、憲法改悪反対を叫ぶことも当然である。人道主義から言えば戦争は避けるべきである。
 しかし、相手が強靭で刃物を持って挑んできた場合、俺は平和主義だからと言って、合掌していたのでは切り殺されてしまう。世界は広く狂人もおれば馬鹿もいる。狂人でも馬鹿でもないが、自分たちだけ楽をして、他国を奴隷化するために富と才能に任せて最新の殺戮機械の威力に物を言わせようとする、不正な権力、国家も存在すること間違いない。
 そうした武力の前にいくら正義を唱えて見ても始まらない。
 日本のような貧乏国家に友達付き合いをして、正論を支持してくれる国があろうとも考えられない。 仮にそんな国があったとしても、それは日本同様の弱小国で、いずれオートメーションの原水爆時代に、金玉火鉢をして栗の実ならぬ照明弾にハネられたり、シュロの屋根の下に膝を抱いて生活しているハダカの国ぐらいのものであろう。
 勝てば官軍で、例えば不可侵条約を結んだ間柄でも『こいつ見込みがない』と思えば寝返って背後から薪雑棒をがんと喰らわせて敗けた国は国際信義も条約違反もなじれないのだから仕方がない。
 妻や娘は泥棒に殺されて、『私は死刑廃止論を変えない。頼まれれば犯人の弁護もする』という人道主義も、弁護士も日本軍人が戦犯でビシビシ死刑にされたことには『仰せごもっとも』で、一言の弁護もできなかったではないか。
 軍備という言葉にも理屈のつけようで、攻撃の軍備と自衛の軍備があることを、吉田前首相時代に教えられた。攻撃はいけないが、自衛の攻撃準備なら平和憲法に違反しないというのが、政府解釈の軍備の定義のようである。
 然らば、警官の持っている拳銃は泥棒、強盗、乱暴者の足にばかり当たって、良民を守って然るべきだが、時折、魚とりの学童を傷つけたり、お巡りさんの自殺用に使われて、攻守両用、善にも悪にも利用できることを示し、武器や軍備に侵略も自衛もないことを示している。
 朝鮮海峡で日韓両国の漁業水域の問題で争っているが、先方ではこっちの領分で漁をすれば沈没させてしまうと言い、日本が不当と言い立てても、そんな時には国際連合も仲裁も判定もしてくれない。一体どうすれば良いんだと言いたくなる。
 原水爆と拳銃を比較すれば、どちらが攻撃武器でどちらが警察的武器だか常識的に言い切れるが、対戦車砲や戦車、ジェット機や巡洋艦がどっちにつけるかといえば、見る人の立場で議論は果てまい。
 15億の兵備が自衛力の範囲で、30万なら自衛力ではないと言う事も、こじつければどうでも言える。
 こんなことを書いていても際限ないから言いたい結論を打ち出そう。
 折角アメリカが金を貸してまでさせたい軍備なら有難く頂戴したらどうだ。仮に軍備を持たされても、あの苦い大東亜戦争の体験で、人間の修練も出来て、勝てそうもない戦争や権力の横車に武力を行使する愚は繰り返さないであろう。日本人も敗けた悔しさが骨身に徹している。
 もうそろそろ被征服者の気安さから脱却して、独立自尊の誇りを持つようになっても良いではないか。
 それに武力は戦争の数や軍艦の大きさばかり決するものではない事もわかった。科学戦には100万の軍隊も烏合の衆にほかならない。30万の馬鹿な兵隊よりも世界中の水素爆弾工場や貯蔵庫を、思うままに爆発させることの出来る電波を発明する科学者を育成することの方が有効適切な軍備であり、しかもこれならば自衛と攻撃を兼ね、さらに世界の軍備を撤廃までにまで誘導することが出来る平和の武器でもあるわけだ。
 再軍備結構、ただし、アメリカの資金、兵器の貸与はお気の毒でもあり、借金には得てして利子のヒモがつき易いから御免被ることにして、日本の力で出来る程度の枠内で飯ばかり食って役に立たない兵隊の数を揃えることもご破算にして、世界最新鋭の化学兵器の先を行く超科学兵器の発明発達のために、最近戦後派が少なくなって、学生もよく勉強するようになって来たので、これらの学生の育成特に最終目的を世界の武装国を沈黙させるような化学戦制覇において、年間400億くらいの金を新軍備教育費として計上したら如何なもんでございましょうか。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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