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大豊作を喜ぶ

コラム『あまのじゃく』1962/9/4 発行
文化新聞  No. 4276


忘れてならない 農民への感謝

    主幹 吉 田 金 八

 農林省の発表によれば、本年の米作は1300万トン( 8600万石)で統計が生まれての最高記録、35年の収穫を14万6千トンも上回り、史上最高の大豊作と推定されるとのことである。
 今年は台風も予報に脅かされたのみで、実害がなく、天候も順調だったために、この作柄を収めることが出来た訳であろう。
 農は国の基と言う考え方は多分に変えなければならなくなっては来たが、一軒の家にしても米ビツが空ではうまい仕事は出来ないのと同様で、世界が自由貿易で結ばれても主食が自国内で賄えるということは強みである。
 中共が共産主義全体国家として意欲的な建設を行っていることは認めるが、農政の失敗と言うか、天災によるためか知らないけれども、農業生産が意に任せず、難民が増え、全体的国家建設を停滞させていることを思えば、日本はその点誠に幸福と言わなければならない。それにしても大豊作だから米の買上げ価格は安く据置いても農民の所得が増えるといった冷淡さは禁物である。
 人間一人が1ヶ月に消費する米代は大人、子供おしなべて1000円で足りるという安さは、農民が利口なら文句を言わずにはおられぬだろう。
 何が安いと言って米くらい安いものはない。 これをインフレの助長とか、一般生活費の高騰に結びつけて難癖をつける消費者団体、政党があるとすれば農民の労苦を理解しない人鬼と言うべきである。
 千円の米はサービス料を含めて1万円のライスカレーにもなれば、10万円の高級和食にもなる。米代は安過ぎ、この安い米にたかって米を作らない人間が金儲けをし過ぎる。
 米作りの百姓の労力を費やすならば、他の産業ならば三倍も五倍も収入があるであろう。
 米価を引き上げて(勿論消費者価格を)農民が土地を売らないでも一般水準並みの文化生活ができるようにしてやるべきである。

オックスフォードの白黒暴動

 黒人学生の入学をめぐってミシシッピー大学で学生市民と州警察、連邦警察の騒動がさながら戦争を思わせる大騒動にまで発展し、多数の死傷者を出した。
 その後の報道解説等でおぼろげながら事件の内容を推察するのに、人種差別をしないという憲法と理論、理想はそうでも、依然黒人を劣等視する習慣と白人勢力に引きずられる州政治との対立にあるものらしい。
 日本の民主憲法を指導したアメリカにもまだこんな古い考え方、非民主的な実態が厳然として残っていたのかと、アメリカのお陰で民主主義を実践している日本人は唖然とするような事件である。
 私たちは太平洋戦争で多くの黒人がアメリカを守るために白人と一体になって戦い、当然多くの犠牲者を生んだことを知っている。この大戦争に動員された黒人は祖国アメリカを守ることを合言葉に戦い、かつ死んでいったものと思う。しかもそのお陰で守り得たアメリカは、白人のみが自由で、豊かであって、黒人は不自由であり、奴隷と変わらないものではなかったのか。
 この事件は、アメリカの自由主義、民主主義、博愛主義の裏を見せられたような気がして、戦後なんでもかでもアメリカをお手本にしてきた日本人が、もう一度アメリカを見直さなくてはならないと思いつく事件である。
 そこへ行くと、日本は人種差別についてはほとんど暗い影は見られなくなり、かつての同じ日本人同士が異国人視、劣等視したことは本当になくなってしまった。これは敗戦によって日本人自身が最劣等に下落し、そこから再び立ち上がったことにもあるが、戦争によっていろんな人種に交流し、親しみ合ったためでもあろう。
 この暴動の起こりは、ミシシッピー州知事が白人市民の世論に引きずられて、『黒人差別』の態度方針をとり、連邦政府の言うことを聞かなかったことに、白人市民学生が気負ったことにあるらしいが、民主主義、議会主義は時としてこうした無思慮、愚論に引きずられることがある。民主主義のアメリカ伝習生である日本も心すべきである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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