日本銀行の番人
コラム『あまのじゃく』1951/11/25 発行
文化新聞 No. 184
生産と消費のアンバランス⁉
主幹 吉 田 金 八
物の不足にあえいだ戦中、戦後数年の苦しさから浮かび上がったと思ったら、今度は物を持て余す苦しさに直面する様になってきた。
石炭が不足だ、電力が足らないと訴えておりながら、生産指数はどんどん上昇して、物にもよりけりだが戦前戦後の最高の生産を上げているものもある。
街を歩けば商店の店頭にはどんな品物も山のように積み上げられ、売らんかなで客を待っている。
ところが客足の溜まっているのは格安品、ハンパ物の売り場位のもので、高級品、値がさ品の売り場は店員が手持ち無沙汰であくびをしており、どこの街へ行っても雑踏しているのはパチンコ屋ばかりとは皮肉である。
物を持て余すと言うのは国民の大部分が充分に消費生活を満足させて、しかる後にモノが余っているのが本来の姿であるべきで、国民の消費欲は充分にあるのだが、購買力がないと言うことでは、いかに生産は豊富になっても人間は幸福にならない。
日本銀行のお札の倉庫番が山と積まれた紙幣の山を眺めながら、さて今月の月賦の払いをどうするかと思案しているようなものである。戦争で生産の組織と意欲が衰えた場合には、自由な経済の競争によって生産を奮い立たせることは賢明な方法である。ところが、モノがふんだんに出回ったとなれば、その豊富な品物を平均とまではいかなくとも、普遍的に国民の各層に潤わすことが必要であり、政治の目標となり自由経済の手段でもなければならない。
東京紙が朝夕刊を組み合わせて220円になったら、特に農村方面の読者が減って販売店が押し紙で悲鳴をあげる様な国民の経済では、誠に心もとない次第ではないか。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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