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文化の日 に

コラム『あまのじゃく』1954/10/29 発行 
文化新聞  No. 1323


いつ来る⁇ 真の文化を感得できる日

   主幹 吉 田 金 八

 11月3日は今では文化の日というが、戦前は明治天皇の誕生日で明治節と言われ、その前は 明治天皇祭という祭日でもあった。
 偶然にも記者の誕生日である。
 記者は戸籍上は明治41年11月7日生まれとあるが、本当は3日の生まれで、昔は本当の生まれた日をそんなに難しく言わず、近所の人々でも役所に届け出の日を生まれた日にしてしまうようなことは普通だったらしい。
 だから、母親は『お前は明治天皇をお祝いの日に生まれたのだ』と一人っ子のせいもあるが、本当の誕生日が覚えやすかった。
 新聞を始める事になった時、文化新聞と命名したのは、その前に劇場を今の新聞社の所に作り、名前を何としようかとなった時、師岡胤光氏が、『大宮に文化会館というのがあるが、どうか』と言われて、文化会館となった事などから、それと関連させて文化新聞が良いだろうと言う事になったままである。
 だから、今日の文化の日を全国で祝っているのを見ると、まるで記者の誕生日と文化新聞の発展を祝ってくれたのかとうぬぼれる次第である。
 人間もこの位万事自分の勝手に解釈すれば、長生きをすること請け合いである。
 さて、文化という言葉は明るい感じがする。しかもこれは最近の言葉ではなく、明治初年からあるところを見れば、日本人の誰からも理想とされている内容と意味を持っているに相違ない。
 文化の定義についてはなかなか上手いことが言われているが、記者はもっと簡単に割り切って考えている。
 文化とは明るい平和と健康な姿を呼ぶのではないだろうか。8割以上の国民の生活を乞食同様にさせておいて、戦争の準備に金をかける様な国家は、断じて文化国家ではない。
 戦争は文化社会の敵である。アメリカやソ連が自国の文化を保持するために、他国に水爆を使用しようとするならば、世界の文化の破壊の名をかぶせられても仕方がない。 
 テレビや電気洗濯機も、明るい家庭生活の手段として確かに文化生活の一端ではある。しかし、こうした機器を利用して余暇を産んでも、その余暇を健康な趣味、生活に生かさずにパチンコや麻雀などの不健康な遊戯に費やすとするならば、この生活も非文化となるであろう。
 電気洗濯機をかけ放しで美容院で油を売ったり、井戸端会議で暇をつぶしていたのでは、せっかくの文化も、文化の利器も泣くであろう。 
 科学が発達して人間が働く必要がなくなる様な時代が来たとすると、趣味として農耕や工作をする様になるかもしれない。
 人間は何か体を動かさずにはいられない様に出来ているのだから、毎日遊んで酒ばかり飲んでいたとて、決して面白い筈はなく、労働もまた文化の一端である。
 骨をすり減らすように働かねば食っていけない現実の世相は、あまりにも文化とは縁遠いことを悲しまずにはおられない。何としても文化という言葉は、日本人全体に当てはめて考える時に遠い理想でしかない事を感じる。
 しかし、それがいかに遠くとも、また困難な道でも一歩一歩近づいて行くところに理想を追う楽しみがある訳である。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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