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穏やかならぬ圧力

コラム『あまのじゃく』1956/6/29 発行 
文化新聞  No. 2211


本紙提言 東部地区の性急さに危機感

    主幹 吉 田 金 八

 飯能市の公会堂建設の問題は町田市長就任以来の懸案であり、すでにこのことの為に私有林伐採の公聴会を始めとして、市議会内に私有林処分、公会堂建設の二つの特別委員会までも持たれ、現在までこの会合、動員員数など莫大なものである。
 もちろんその過程においても東西両地区から建設位置についての競願がなされ、その決定は衆目が興味を持って見ているところであるが、すでに二つの請願書も29日の委員会を最後に、双方もそれぞれの理由で採択され、今はもう町田市長の決済の終着駅に近づこうとしている。
 そうした段階において東部地区が委員会および市長の決定を牽制するがために『あくまでも東部説』を強調することも一種の政略であり、戦術であることも頷けなくもない。
 しかし、その意向は、例えば前田とか柳原とか、もしくは加治、精明と言う地域の町内会等の公式団体でなしに、中央通り商店街というような事業団体の声明であったとしても『こちらに決まらなければ税金を払わない』などという強硬なものであるとすれば、これは真に穏やかならぬものがあると言わねばならない。
 しかもこの商店街は指導者にも構成員にも、なかなか鼻っ柱の強い、しかも実行力のある方々が揃っている以上、公会堂が西部にでも決まった暁には、引き抜いた大ダンビラを意地でも打振らねばならない仕儀が生じはしないか。既に市当局の表情にも相当困惑の色が浮かんでいる事も看取される。
 私はこの東部の決意表明が単に戦術として『万一公会堂が来ないのなら、その代償に市庁舎移転の第一候補地とか、中央通りの舗装を優先的に行う』という市長の約束手形を取ろうと言う算盤から割り出した気持ちに余裕のあるものだとしても、脅かしにしては少し度が過ぎる身振りであり、公会堂が得られなければ、本当に実行しようという決意だとしたら、さらに問題だと思う。公会堂の誘致が税金の不払いをもって対抗するほどに重大な問題であろうか。
 今、沖縄の住民が当面している基地を巡っての闘いなどは誰の目から見ても死活の問題として、不納もハンストも頷けるが、公会堂がこっちに来ないから税金を払わないなどでは、まるで児戯に等しい行いとして、世人から笑を買うだけではないだろうか。
 公会堂が出来るか出来ないかが東飯能地区一帯の商店街の興廃存亡にかかっているとは考えられない。
 公会堂が出来ても出来なくても、現にこの地帯は年々歳々素晴らしい勢いで発展開発されており、10年前の面影を知る者が驚倒するほど立派な市街地が出現し、今後の一年は過去の五年、十年にも匹敵するほどの歩みを示すことは疑うべくもない。実に活気にあふれる新興市内である。
 私はよく冗談に『火事が起きるのは活気が溢れているからで、発展地域の象徴である。火事も起きないというのは町が死んでる証拠だ』と火災と繁栄のつながりを説くが、最近火事だと言えば市民は真っ先に市街の東端を眺めるほどに、火事も名物になってきそうだが、それほどに東飯能は注目の街となりつつある。
 大した金持ちもいないが、宵越しの銭は持たないという派手な気風もこの地帯の特徴であり、パチンコ屋やテレビのアンテナの数の多い事でも十分この事を立証している。だから私に言わせれば高々千五百万円くらいの公会堂の「取りっこ」を年々衰微の一途を辿り、昔の賑わいの十分の一でもせめて公会堂の建設で保とうとして唯一途にこれに取り縋る西部地区と眼に角して争うなどはあまりにも大人気がなく、沖縄住民から最後の土地を取り上げようとする米国の残忍さによく似てはいないかと思う。
 もっと大きな寛裕を持って臨むだけの、基盤にがっちり立っているのだという事を改めて自覚すべきである。
 中央通りの商店街の人たちが、一瀉千里に繁栄を獲得しようとする気持ちも判らなくはないが、物事はそう短兵急に行かぬもので、熟れた果物は自然と木から落ちるものだということも考えべきである。
 公会堂の位置については、町田市長は当初より一中付近説の主張者であり、西部説が地元の犠牲と熱意ある建設委員会の審議報告があったとしても、最後には大局高所から市長が公正な裁断を下すものと思われる。
 この際の判断に税金不納などの圧力をかけることは、それでなくても無気力が云々されている町田市政を、動きのつかぬところに追い込む危険が多いと言わねばならない。
 ゴタゴタせずに早く公会堂を作ることである。
 今、飯能は周囲の何ヶ村をから嫁婿として迎え入れることが大事な瀬戸際である。
 この際徒な紛争を巻き起こすことは、せっかく動き出した近村との合併を、日本セメントの工場と同様に追い払って、当分はまた飯能は「半脳」と笑い物の愚を繰り返さねばならないのではないか。 
 脅かしのつもりで引き抜いたダンビラも勢いの赴くところ、はずみで人殺しをしないものでもない。元加治分村なども、事の起こりは誠につまらない感情の行き違いから起こっており、火事は最初の5分間、「ボヤのうちに消すべき」だとの気持ちからこの一文を書いた。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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