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収賄死罪論

コラム『あまのじゃく』1951/3/15 発行 
文化新聞  No. 95


悪質な知能犯罪への懲らしめを!

    主幹 吉 田 金 八

 犯罪者に対する刑罰の目的・方法が懲罰主義、つまり人殺しは死刑を、放火には火あぶりをと言った懲らしめ的見せしめ的の刑罰を課することにより、犯罪者を社会から追放するとともに、世人を戒めて犯罪の追随者の出現を少なくしようとする方法から、懲治主義、懲らしめ改めさせる主義に転換した。
 泥棒にも三分の理で、犯罪の発生は犯罪者の不心得はもちろんであるが、それ以外に社会の負うべき責任も多少はあるわけで、人の性は善なりとの建前から、罪に至る動機心情を酌量して量刑を決定し、社会から隔離するとともに、刑務所内においての訓育によって真人間に立ち返らせ、再び社会人として更生させようと言う刑事政策の理想は、人権尊重を第一義とする民主主義に共通する。
 ただ問題はあまりにも深く犯罪者の立場に温情的に偏ったり、基本的人権を尊重するあまり、健康な社会に被害を与え、一般人の人権を侵害するような結果となっては、角を矯めて牛を殺すことになりはしないかと心配する。
 最近青年の血なまぐさい犯罪が増えているが、その原因はいわゆるアプレ派観念が青年たちをかくさせたとも見られるが、一面刑罰が軽きに失して「なぁに、執行猶予か半年もくらいこめば済む」と言った軽い心が、青年の凶悪犯罪を助長させる結果となってはいないだろうか。
 官吏の収賄、背徳事件が後を絶たず国民の顰蹙を買っているが、これなども根絶方法は簡単で、筆者の持論のごとく官吏の収賄は金額の大小、事情の如何を問わず、罪状の明白なものは問答無用全部一律に死刑と決めておけば、死を犯してまで金銭に転ぶ馬鹿もなく、法律発令と同時に役人の背任行為はあとを絶って、明朗な社会国家が出現すること疑いなしである。
 官吏の収賄は一応最低の生活を保障され、普通犯罪のごとく警察の眼を恐れながらコソコソやるのとは違って、椅子にふんぞりかえって、高級自動車で送迎され、料亭の奥座敷で黄金の取引をする天を恐れず、人を恐れざる最も凶悪な犯罪であり、赤ん坊を背負って用品店の店先で足袋や手拭いを万引きする哀れな貧乏人の細君と同日に論ずべきものではない。しかも彼らの行為が青年の憤激を買って「役人でさえあんな悪いことをしながら裁判の結果はウヤムヤになる時代だ。俺たちだって」との反感から、現今の世相が生まれているといえよう。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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