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社説のない文化新聞

コラム『あまのじゃく』1952/8/6 発行 
文化新聞  No. 364


辺幅を飾らず

    主幹 吉 田 金 八

 文化新聞に社説がないのは物足らぬ、何か社説めいた欄をおくべきだと言うご意見をしばしば耳にする。
 最近豊岡の伊さんと言う韓国の方が来社して、「文化新聞もはじめのうちは『あまのじゃく』で特徴もあったが、この頃はその欄もなくなるし、編集の方針が大きく右に旋回した傾向があって、非常に面白くない」とのご批判を受けた。
 社説と言うのは新聞の表看板で、どんなチンピラ地方紙でも、一応はもっともらしく一面の題字の付近に枠を設けて、社説めいたものを掲げているが、書いているご本人が気負うほどには読者が読んでいるわけでは無い。
 読んだにしても感心している人は少ない。もっとも大新聞の論説部の如きは、それぞれの論客を集めて警世の名論卓説を掲げているのは別であるが、地方の小新聞では主筆も取材も校正も、場合によれば印刷工まで兼ね、その上広告まで社長が集めているような新聞紙に、読者を傾聴させるような名論文が書けるわけは無い。本紙は身の程を知っているから、読者に利口ぶった指導がましい社説を書かない理由もある。
 『あまのじゃく』とぼかしてあるのもそうした意味である。
 私は文化新聞を読者の力で立派な新聞に育てていきたいと思っているし、紙面の権威も経営の根本も全て読者の盛り上がりに任せると言う気持ちでやっている。しかし、いきなり投資をしてください、新聞を購読してください、で呼びかけても形のないものには大衆が協力する術がないであろう。だからたとえ月に50円でも金を出して惜しくない新聞にするまでは、主宰者である私が、中学2年中退と言う悲しい脳味噌を絞って、愚にもつかぬ駄文で紙面を埋めたり、ひところ多少蓄えた財産を注ぎ込んだり、果ては女房の着物まで売り叩いて、どうやら新聞発行の継続にまでこぎつけたでである。
 陰でこの頃では文化新聞も大方の支持を得られるようになり、地方新聞としては一応のところまでたどり着いたと思っている。
 特に最近の愉快事は、文化新聞は自分の反対意見もドンドン掲載する事が一般に認識されて、相反する両陣営からの投書が激増したことである。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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