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西日本バイク一周旅行に出発(1)

コラム『あまのじゃく』1953/5/8 発行 
文化新聞  No. 703


行って参ります

    主幹 吉 田 金 八

 『治にいて乱を忘れず』と言う古諺があるが、私は昔からその気持ちを忘れたことがない。特に敗戦の憂き目を見たあの大東亜戦争は、しみじみその感を強くした。
 何時どんな戦争が起こっても、どんな災危に見舞われようとも、心にも生活にも微塵もうろたえ騒ぐことのないような心構えを常に持ちたい。そのためにはまず身体が丈夫でなければならない。火事で一切が失われても、人間の頭脳だけは死なない限り失われず、どんな場合にも役立って飯が食える。『髪を伸ばす代わりに中身を伸ばせ』ということは、もうそろそろ頭の毛を伸ばしたがる長男(高校2年)によく言う言葉である。下手な財物があるから火事や戦争の時に命を失うのだ。日本の軍隊は着ることと食う事ばかりに気を配って、あんまりその方の用意にかまけ、兵器の方をおろそかにしたため敗戦を被ったが、私はあの歩兵が衣・食・住の一切を8貫匁とかの重量の中に収めて進軍する姿は、平時においても大いに参考にし、真似たいと思っている。そう思いながらも平和になるとついその恩恵に甘えて、必要以上の道具を買い込んで、安易な小市民的趣味に安住したくなる。だから時折、臨戦態勢の訓練をする必要があると思う。
 だから私の住居は他人様が来てびっくりするほど殺風景で、いわば、なりふり構わずの日常を送っているが、家族の者には臨戦態勢の訓練のためには惜しまずに金を使う。
 自分が新聞の発行で抜けられないので、代わりという意味ではないが、高校2年、中学2年の長兄、次男にも旅行の機会は逃がさせない。旅に慣れると言う事は困難の中に、臨機の処置を体得させる良き学校だと思っているからだ。
 ここでお断りするが、私の臨戦態勢と言うのは武器を持って戦うあの訓練ではなく、世の権力者が自己の富や勢力を増やそうとして企てる悪魔の戦争に、人民が巻き込まれることから逃げる態勢を言うのである。
 もちろん『戦争』をいうのである。戦争を防ぐために戦うと言えば勇ましいが、いざとなればちょっとやそっとの反対で戦争を防げるものではなく、起こるときには怒涛の如く起こってしまうものである。現在の日本もいつ戦争の嵐の中に巻き込まれるかわかったものではない。いつ戦争が起こっても良いように心構えを持つ事は決して無駄ではないと私は思う。
 思えば、終戦の8月15日を先立つ10日ほどまえ、四国の松山より南下する事約1時間、「八多喜」と言う駅を出発して、妻と今小学6年と3年の女の子を連れて、「1ヶ月かかっても良いから飯能に帰って、母や長、次男と一体になろう」と言う悲壮な決心で、ようやく岡山までの切符が手に入ったのを機会に、故郷に引き揚げることになった。
 すでに本土はめちゃくちゃにやられ、列車の通過する各駅は見るも無残の有様であった。それでも列車は無事に熱海まで来た。もちろん岡山以東の分は無札である。『函嶺を越せば歩いてでも、3日もかかれば飯能に帰れる』と安心した。
 ホッとしたら国府津が小型機の空襲を受けて、乗客は根府川で降ろされて、歩け歩けとなった。小田原まで歩くつもりで、一斗以上の米や身の回り品を背負って、海岸沿いに親子4人で歩いたことも。
 砂浜に引き上げられた漁船の影で野宿しようとしたら「子供連れでは無理だ」と村の親切なおばさんが公会堂に案内してくれ、駐在していた勤労部隊の兵隊さんと一緒に、一夜を明かしたことなども、忘れられない思い出である。
 時価三万円の旧時代のおんぼろオートバイである。
 果たして予定通り西日本1周ができるかどうか自信はない。しかしそこをなんとか、かんとかやってこようと言うところに面白味もある。
 途中の見聞記は筆に任せてどしどしお送りします。
 きっと面白いお土産話がどっさりあると思います。では読者の皆様、しばらくの間さようなら。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

 

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