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魚釣り演説

コラム『あまのじゃく』1955/2/22 発行 
文化新聞  No. 1725


正々堂々、大看板での勝負を 

    主幹 吉 田 金 八   

 浅沼稲次郎右派社会党書記長の平岡忠次郎候補への応援演説を聞く。
 記者も右派社会党支持の人間だが、選挙演説などいかにも場当たりの大衆向け本位のデタラメなものだという印象を受けた。
 聞いている時には相手が大物だという先入観もあり、さすが古強者の演説は上手なので感心して聞いて帰ったが、さて、家に帰って聞いて来た事を反芻してみると、合点ならぬ点が何箇所も生じて來るのはどうした事か。もっとも、浅沼氏は2時、3時、4時と飯能、所沢、大宮の3会場で演説を打たねばならず、途中の走行時間を計算すれば、一会場30分、正味15分位のものになってしまうのだし、短時間に多くを語らねばならぬ上に、学者の応援と違って相手に右派社会党に投票させようという強い意欲のもとに訴えるのだから、説明抜きの結論だけを言う広告のキャッチフレーズとか、新聞記者の見出しだけのような散文的な、専門的になるのも無理はない。
 文化新聞などの見出しも、内容にそぐわないものが多い事から言って、他人の事ばかりは言えないかも知れぬが、社会党支持だからといって迷信・宗教のように無暗に有難がる訳にはいかない。
 浅沼氏の演説も、記者は中途から聞いていたのだから、半可通な批判だったらご容赦願いたい。
 自由党、民主党に対する攻撃は当然のこと、記者なども口にも文にも表し得ないが、あれ以上の非難を浴びせかけたいところである。
 麦を食いたい人は保守党に、米を食いたい人は社会党へというのは面白い文句だが、記者は米も麦も好みに任せて食いたいと思っているので、それでは何党に入れたら良いと言うだろうか。
 世の中には案外保守派を支持する豊かな階級が麦を食って、社会党支持の階層が案外その日暮らしの有るとこ勝負で、米を食っているのではないかと考えると、おかしくなった。第一米を食うことが上等で麦を食うことが下等だと思い決めてしまうのがおかしいと思う。
 しかし庶民は戦中、戦後を通じて白米入手に困った経験が深く、米に限りない憧れと愛着を感じるであろうから、米を食いたいものは社会党へと呼びかけたら、なるほど大衆の票はウンと集まるかもしれないが、そんな大衆も政党も尊敬できない。
 記者は貧乏人は麦を食えといった大蔵大臣、多少は首くくりが出来ても仕方がないと言った池田勇人は勇敢だと思う。 
 ただし、各党から批難攻撃の前に他愛なく兜を脱いだことは残念だった。 池田放言の場合も、若干の前置きが足らなかったので、傲慢な放言と扱われたが、麦を食って子供を大学に通わせる事を希望している者もあれば、コタツで銀飯を食って、人生を大いに楽しんでいる人もあるのだから、一概に米を食いたいものは社会党になどと言って貰いたくない。
 それでは社会党もあんまりエゲツなく、見すぼらしいではないか。
 米の飯を食ってパチンコにかじりついてる人種が、真面目に働いて慎ましく暮らしている人と同様な恩恵と待遇を得られる社会が、社会党のユートピアだとするならば、私は社会党は御免だ。
 中共の状況が、数次の邦人送還でおぼろげながら分かってきたが、共産国家でも労働の成果や社会に寄与する度合いに応じて、収入は高低があり、生活も上下があるというのは当然の事ながら気強く感じられる。
 『僕が運輸大臣になったら一等と三等を廃して、 全部を特二にする』というに至っては噴飯ものである。
 こんなセンスの人間が大臣になったら、国民は大迷惑ではないだろうか。
 今、全国の汽車を全部特別二等にして、乗客が悠々腰がかけられる様にするには、車両も列車本数も5倍にもしない限り出来っこない相談ではあるまいか。そんなことが、この貧乏国に出来っこないではないか。
 社会党の天下になっても共産党の社会にも必ず1等車も3等車もあることは間違いない。 
 近距離の旅行は多少骨が折れ、座り心地が悪くとも3等車で、遠距離とか遊山旅行には高くても楽な二等車、1等車の必要を記者は感じない。(その実、二等車すら生まれて1,2度しか乗ったことはないが) から1等車などは排しても良いと思うが、要は誰でも必要と好みとで二等車に乗り得るような社会の仕組みが望ましいのである。
 身を粉にして働いても三等車で伊勢参りが出来ない者のいない社会を具現すべきではないか。
 社会党は国営と統制が好きだが、浅沼氏が大臣になったら国民は3等車で、役人と組合幹部、国営事業のお偉方が2等車を占領する様な事のない様に今から警告しておく。
 卑しくも天下の社会党の領袖がルンペンをムスビで釣る様な、パチンコ屋が一時玉を出すような場当たりの好餌は見苦しい。
 それよりも戦争反対、平和憲法改悪反対等の表看板で堂々とやって貰いたいものである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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