思わざる波紋
コラム『あまのじゃく』1963/10/27 発行
文化新聞 No. 4603
本人の意思を無視、周りが騒ぐ‥
主幹 吉 田 金 八
問題となった市川宗貞氏の代議士選出馬は本人の不出馬表明で周囲の空騒ぎに終わった。
「おどかすではないか」と、既に一応網を張ったつもりの各派は腹を立てたり、安堵の胸をなでおろしたり、二区全体とすれば局地のアダ波であったとしても、飯能地方が各候補にとって絶好の草刈り場であっただけに、与えた影響は大きかったようである。
しかし、この波紋で感じられたことは、地元から代議士を出そう、地元に代議士の居ないことに不満と不便を感じている機運が相当大きいということが判ったことである。
ことの起こりは、わずか数名の有志が市川氏のところへ行って、
「どうでも代議士選に出ろ」と勧めたという事だけの発端であったが、こんなにまで波紋を拡大したことである。
市会議員の誰彼もが「代議士選なら異議はない」と、「おそらくすでに他派に深入りした数氏を除いて、25名は賛成だろう」と言い、「俺は〇〇派に頼まれてやるつもりでいるが、市川さんが出るとあればそれは断ってやろうと思う」と言う者さえあった。
「市会議員が全部名前を揃えても落ちることがある。それも飯能など高々知れた局地で、うんと取ってみても1万票足らず、それでは選挙にはならない。勘違いしては困る」と盛り上がりをケナス者もあった。
しかし、そうしたケナス者が出るほど盛り上がったことだけは確かだ。
世に政治家とか指導者とか言われる人にはそれぞれの特質があって、激しい気性で強く人を引っ張っていく代わり、影響する場面が狭い人がある。
そうした人は海中に濃い墨汁を流すイカのように、汁をかけられた人は強い感化と共鳴をする反面、そのスミ汁を嫌う人も多い。
市川氏はその反対で、水の中を泳いでいても目立つような泳ぎ方もせず、波紋も濁りも起こさないが、人に不快感を与えることもない。
これが政治家としては欠点であることの方が多いが、長い目で見れば特質とも言えなくはない。
こんな人柄が、今度の代議士選のような地元に対立のない状況下には、思いも受けぬ、お座なりの人気の的となる要因であろう。
市川氏は「今回だけの不出馬」のつもりかも知れないが、これは永遠の不出馬に通じることではないか。
私は惜しいチャンスを逃したと思っている。
ただ、興味を持つのはこの不出馬表明が、側近の勧誘や相談の結果でなしに、市川氏が元々そうした気持ちでいて、たまたまのキッカケでその意思を表明せざるを得なくなったから行われたと言う事である。
市川氏の前回県議選の時の辞退ぶりと思い合わせて、相当の成長があった様に見えなくはない。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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