モチ屋組合の公認
コラム『あまのじゃく』1963/10/25 発行
文化新聞 No. 4601
選挙民に喜ばれるモチは?
主幹 吉 田 金 八
いよいよ選挙戦線に突入した。
伝えられる顔振れによると、第2区における立候補者は、社会党平岡忠次郎、民社党長谷川勉、共産党牛窪宗吉の諸革新は毎回のなじみの顔で、いずれも1党1名の公認であり、それぞれの党においてもその党内においては一人では喧嘩も競争もない訳である。
これに対して自民党はさすが時の天下の与党である事ばかりでなしに、 解散の時の気勢の示す如く、国民の信頼に絶対の自信で、空前の大勝利を自負するだけに立候補も押すな押すなの目白押し。すでに解散前からの動きから察しても松山千恵子、小宮山重四郎、長又壽夫、藤巻敏武、南与之の五候補が限りない闘志で自民党の乱戦が予想される。
これのみか、伝えられるところでは、飯能地方が「オラが土地からも代議士」とばかり、先頃の県議選で「地元の平和のために」せっかくの選挙を諦めた市川宗貞前県会議長を擁立せずんばの動きを示し、この波の拡大如何では自民党は6名になるかもしれない。
二区の定員は3名で、社会党の現議席を無視して自民党の独壇場と決めつければ、目下同党が公認している松山、小宮山の2名の他に、もう1名を加える事も出来なくはないが、社会党平岡の実績を無視して3名を公認して、公認のうちの1名が落ちることは、同党の解散選挙にのぞむ「公認を厳選して一発必中」の方針には沿わない訳である。
また、長又、藤巻ともそれぞれ党中央の大幹部に繋がることを誇示しており、その長又は河野一郎、 藤巻は大野伴睦に水も漏らさぬ紐があるとするならば、これが二者択一は容易ならぬことであろう。
目下問題となっている市川は、県議選において議長をやっていながら公認を得られなかった、言わば自民党の儘っ子で、自民党から誰も出てがなかった場合ならともかく、現況の如く公認を得ようと受験生が多く犇めいている状態では、初めからこの公認問題には関せず縁ではあるまいか。
それに、この公認決定についても、日本の政党組織自体に疑問がある。
それは自民党でも社会党でも正式の党員が少なく、党員といえば政治屋と言っては悪いが、政治の専門家の極めて限られた数にしか過ぎない。
仮に飯能の市議会で正式の党員だったものは、前には松下宗平氏だけだった事がある位で、実際の地方議員などで党籍を有する者は少ない。
本当の選挙はごく少数のモチ屋が勝手に決めた公認モチを党員でないお客が各自の好み鑑定によって買っている訳である。だから公認だった候補者が落選して非公認が当選するような場合はしばしばである。
この二区を足場にして、25年も代議士を持ち続けた松永東代議士がこの間公会堂に来て述懐したが、同氏は非公認で3回も倦まず弛まずの戦いをして、当選の時は公認をはるか引き離す成果を上げたと言う。それが今では自民党の長老格で、自分の贔屓、好みで公認を左右する立場になっている。
公認というのは、形式的に党への寄与、実力、当落の見通しの観点から党組織が公平に審査すべきであるが、今次選でも自民党が反省を国民に約束しているように、大きくなり過ぎて競争の社会党が嫌がらせをするくらいの実力しかない現状では、自民党自体が奢って党内党、世に言う派閥の勢力争いが主となって、この公認等の点でも情実、利益が先行して誰の目から見ても妥当ならざることがまかり通っている。党公認などという看板は売らんかなのモチ屋が『このモチはうまい、甘い』と言うだけで、そんなに当てにはならない。
『このモチは甘い、うまい』ということを決定するのは、モチ屋でもモチ屋の組合でもなく、これにゼニを出して買うお客、つまり投票で代議士を選ぶ有権者の決定が本当の公認である。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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