見出し画像

交通安全の達成は‥‥

コラム『あまのじゃく』1958/6/19 発行
文化新聞  No. 2942


責めを運転者のみに負わすな

    主幹 吉 田 金 八 

 交通安全旬間がすんで、まだ幾日も経たない17日午後、柳原踏切で三輪車が電車に飛びついたという知らせが編集室に入った。
「スワッ!」とばかりに飛び出して行ってみると、市内ヤマス鉄工の見慣れた小型三輪車が線路下に腹を見せてひっくり返っており、付近には積荷がバラバラになって散乱している。幸いに人命に被害がないとの事で何よりだったが、運転手君から事情を聞いてみて、踏切の状態と一時停車の法規の矛盾に気がついた。
 この踏切は、付近の人ならよく知っているのだが、未見の人のために概略を記すと次のような状態にある。
 市内から市外に出る場合の例だが、手前にある吾野線の踏切は平地から1m以上盛り土の上を通っている。これは線路が急カーブしているためと、この地帯の地盤が飯能駅、東飯能駅の水平より低いためのものである。
 だから踏切を登り詰めない坂の途中で自動車両は停車して、左右を確かめなければならないことになる。
 これで、左右から電車が来ないことを見極めてから出発しなければならないことは、法規に定められているためと言うよりも、第一に誰でも自分の命が惜しいから、当然のことである。 ところが、左右の見通しといっても、極度のカーブと線路に接近しての積荷や建物のために、50mくらいしか見通しがきかない。視界の限りで電車は来ないことが確かめられても、坂の途中から自動車を発車させる操作というものが結構難しいことは、およそ自動車運転の経験者なら誰もが知っていることである。
 荷がない場合、ギアをローに落としてブレーキペダルをアクセルに踏み変えることで、どうやら発車することが出来るが、荷重がかかっている場合はフットブレーキを緩めながらアクセルを踏み下げて、前進と制動を調和させて発車するとなると、左右の注意もおろそかになるのは必然である。
 私はいつもこの踏切を通る時に思うのだが(特に四輪車の場合)電車が来ないことを確かめ得るのは、わずか50mの範囲であり、法規通り停車して発車した途端に、今まで見えなかった電車が突然視界に入ってくる偶然はあり得る訳で、ローで踏切を横断し終わるまでの時間と、電車が50m疾走する時間はどちらが長いか、おそらく同じ位ではないか。
 仮に同じ速度とすれば電車が近寄ってくる恐怖感によるまごつきを計算に入れれば、ちょうど踏切の頂点で電車に踏み砕かれることになる訳である。
 こうした不合理な条件にある吾野線踏切を越えれば、さらに30mと離れないで、池袋線の同様条件の踏切が待ち構えている訳で、付近の人が魔の踏切と恐れていることもむべなるかなと言うべしである。
 だから、この踏切は一時停車をしたから安全であり、しなかったから危険だとは一概に言えない代物である。運命論、一・六勝負式にはまず押し通ってみたところで、電車は1時間に1往復、30分に1回しか通らないのだから、仮にこの踏切通過の時間を2秒と仮定すれば、千八百分の一の危険率しかないわけで、猪突猛進しても千八百分の一つに遭遇するというのはよほど運の悪い人間だという事になる。
 私の新聞社でも毎晩新聞の発送で飯能駅や市内の新聞販売店を一巡する事があり、駅から踏切を越えれば150mの産経専売所に行くのに自動車の場合絶対に踏切を通させず、往復で1キロ半は、遠回りになる久下稲荷の引込み線踏切を迂回させている始末で、このことを思っても柳原踏切が如何に市民に不便と不安をかけているかを鉄道及び市当局、警察当局に警告したい。
 これを救済する方法は、自動警報機の取付け、踏切番常設、地下道開通の3方法がある様に思われる。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?