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分村細目会談妥結

コラム『あまのじゃく』1954/3/5 発行 
文化新聞  No. 1184


ホッとした分村事件関係者

    主幹 吉 田 金 八

 ドヤドヤ廊下に出てくる足音に、隣の市長室を占拠した記者団は、スワこそと色めいて、会場を覗き込めば、『まだまだ。もう少しのところだから』と入室お断りを喰う。委員の顔が生色を帯びて、『やっとまとまった』と漏らした所へ石井議長が呼び込まれて、飯能側だけ密議になる。
 『石井が出てきては、また形勢逆戻りだろう』と宿直室にたむろする元加治委員が、陰口を利いていたら、案の定またしても会談は、二、三歩後退気味でまたやり直し。お昼頃からツンボ桟敷に追い上げられた記者団も、6時、7時となると、もう地方版には間に合わないとそろそろ家に帰りたげな様子だが、万一帰った直後に妥結の発表でもあって、他紙に抜かれたら悔しいとあって、『今頃は下版だ』『もう一版の刷り始めだ』と時計を見ながら気を揉んでいる。
 そこへ行くと、手近い所に本社のある文化新聞は楽だ。もちろん今晩妥結しても、内容は飯能側は全体会議という姑がいるから、それに報告する前に外部に発表する事はないし、妥結するかしないかだけがヤマである。
 内容は委員の口が固くて、誰もガンとして喋らないから、記者の予想案を示して、委員の顔色で判断する以外はない。 
 だが、おおよその判断はつく。解決案の予想と妥結時間を5時半と予定して原稿を回しておいたが、5時半はおろか6時になっても『まだまだもう少し』といった具合。社に電話して刷りかかった印刷機を止めさせて待機させる。本社は少人数で夜間の印刷は女房の仕事なのだから、あんまり遅くまで待たせるのも可哀そうである。7時なって、『もうあと僅か、大体まとまった』という情勢に『ヨシ、7時半と活字を取り替えて刷りに掛かれ』と命令する。
 しばらくするとまた会議の模様が難しくなって、委員たちの目がつり上がってきたり、控え室に来て一緒にぐったりとした山下虎市議の姿を見ると『これは今夜も駄目かな』という心配もされて來る。
 東京各紙は既に諦めて『もう明日のバック便だ』と投げてしまった。本紙は、7時半妥結で刷り始めているのだから、気が気ではない。社から刷り上がった新聞を取り寄せて『もうこの様に書いてしまったんだから、今夜この会談が決裂すれば大変だ』と言えば、『でも文化はクビになる心配がないからいいよ』と他紙に冷やかされた。
 『自分で自分の首は切れないから良いようなものの、読者から首を切られてしまう』と弱音を吐く。
 8時半ついに妥結と発表がある。『しめた』社に電話して先刻7時半とした活字をまた8時半に入れ替えさせる。
『もう、市内の分は配達の子供たちが相当持ち出しました』と電話から女房の声。1時間位のずれは読者も意にかけてはくれぬであろう。
『今夜は必ず妥結する。内容は発表されない』という記者の予想が当たった喜びは新聞記者にとって何ものにも変えられぬ愉悦である。
 かくして東京紙が間に合わなかった『分村闘争3か年にピリオドを打つ』劇的な協定書細目会談の成功の模様は本紙の独走で飯能市民の朝の眠気を吹っ飛ばした。
 会談に苦労した委員たちもホッとしたらしいが、それにも増して記者もホッとした。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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