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教育委員は人か党か

『あまのじゃく』1950/10/22 発行 
文化新聞  No. 55


選挙民の目利きはどこまで⁉

    主幹 吉 田 金 八

 気乗り薄を予想される県教育委員選挙も20日夜、吉川町の立会演説を皮切りにいよいよ本格的コースに入った。
 当地方の選挙民にはなじみの薄い候補者の顔ぶれに投票率の低調が危ぶまれているが、果たして選挙民は教育委員の選出に他人事であって良いであろうか。
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 元来教育畑に政党色や階級意識は無用妨害とあって、今度の教育委員選挙にも自由党で公認された3名のうち2名、持田、渋谷両氏が無所属を標榜して出馬するなど、大学から政治運動排除の機運と相まって面白い傾向と言える。
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 学校に政党色や階級意識はいけない、子供は純真無垢に育てるべきだと言うご意見には賛成である。私自身5人の子供を、あまり貧しくなく、豊かな正義感に従って行動できるような人間に仕上げたい、と念願しているほどの親にしてみても、ボロ服を着て赤い旗を振り回すような人間にしたいと願う親はあるまい。
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 ところが現実の問題はどうか。弁当箱をフタでかくして食べなければならない子供、修学旅行にみすぼらしい姿でついていく子供もあり、友達はお土産をたくさん買い込んで意気揚々としているのを、指をくわえて見ているのはまだ良い方で、せっかくの旅行も家が貧しいためにお腹が痛いとか、乗り物に酔うとか言って、不参加の子供が多い。
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 この現実を改善して、少なくともある最低の線まで国民生活を向上均霑させようとするのが政治であり、階級運動であってみれば、教育委員が政党人であることが何ら差し支えないことであるばかりか、政党人であることが不可欠の条件にさえなってくる。
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 教育委員は、教育方針は決められるが教育予算は決められない。財政の面では無力であるが、方針を決めることによって予算を抑えたり引きずったりすることができる。
 例えば、修学旅行は経費一切を学校もしくはPTA持ちならば、四日間の関西旅行もよろしいが、生徒の自弁ならば日帰りに限るべし、との通達を出すこと等がこの類である。
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 汚い小中学生、ピーナッツ売りの大学生、苦しい親たちの懐を無視して、または見て見ぬふりをする中立無所属の教育委員に何ができることであろうか。子供の思想感情はどうのこうのと上ッつべりな議論をしている間に、学童がバクチをうち、強盗・強姦を随所で敢行してしまう。
 子供の世界のえげつないこと9年間の義務教育の成果何処にありや。
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 選挙は人か党かと言う問題はどの選挙にも中心の課題である。
 新聞や広報でどれだけの候補者に対する知識が得られるだろうか。候補者の経歴や肩書は一体どれだけのその人の人格、人物を表明するだろうか。
 特に今回の教育委員選挙は入間地方に候補者がないため、当地方の有権者はどの候補者に投票すべきかに迷われることが多いのではないか。
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 私は教育委員の選挙にも断然政党を標榜した、はっきりした性格の候補者に投票すべきだと主張する。自由党でも社会党でも良い。天下の公党がそれぞれの機関に諮って公認した候補者に、有権者は自分自身の政党もしくは階級的基盤に立って冷静な一票を投ずべきであると思う。


コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。


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