見出し画像

気味の良い小手1本

コラム『あまのじゃく』1952/12/1 発行 
文化新聞  No. 563


政治戦略にもフェアプレイを!

    主幹 吉 田 金 八

 池田通産大臣が舌禍のために衆議院で不信任案決議をくって退陣した事は、久しい自由党の全盛時代に、図に乗った吉田ワンマンにお面とまではいかないまでも「お小手イッポン」決まったような愉快さを感じたのは記者のみではあるまい。
 ただ気に入らないのは自由党内の民主連盟とかいう鳩山派が、この不信任案を通過させるために申し合わせ欠席をしたことである。
 いやしくも政党に席を置く以上、党議に服するはもちろん、党の不利益な行動をとる事は、たとえそれが欠席という消極的な動きであっても、政治家としてフェアプレイではない。
 鳩山が総裁になれぬ腹いせに、犬糞的行動である事は明らかで、この連中が欠席で野党を利する行動を取った事は鼻持ちならない。
 記者は今度の飯能町議補選で某氏が元加治の票をあてにしていると言うから、「元加治の票で当選するなどはあまり理想ではないと思う」と面と向かって言った。またある候補は当選後新聞社を訪れ「元加治から予期したほど入らなかった」と言うから、「そんな事はないだろう。相当入ったろう」と言ったら、その新町議は、面白くなさげにプンプンとして帰ってしまった。
 元加治の票だって同じ街の票なのだから、何の差し支えがあるかと言われればそれまでであるが、住民投票に破れて沈痛な気持ちでまなじりを決している区民達は、一人の候補も送らなかった程に町議会に期待を持っていないのである。
 7名の地区候補が立候補して辞退したのも、地区内から反対派の立候補をさせないための牽制策と聞いている。
 私は当初に元加治二千八百の票が毒をもって毒を制する式に旧町のガムシャラ候補に集団的に投入されて、町議会で嫌がらせ戦術を展開するだろうと言う報を聞いた。
 これは元加治のために惜しむべき事だと思った。
 何かのついでに平岡千代吉氏に電話した折、「候補者のアンケートを採っているが、『分村已むなし』の回答する人が多い。逆手戦法は元加治に利益しないようだ」と言う忠告を、余計なことだとしたことすらあり、今度の行動には非常に懸念を持った。幸いにも集団的のいたずら投票の傾向はなく、極めて自然に区民の少数が自己の意の赴くままに、また働きかけのあった候補に自由な投票をしたらしい様子に、正直のところほっとしていた。
 藁をも掴もうと言う切実な気持ちの人たちに、好餌を持って投票を勧誘したり、死にそうな病人にこの薬を飲めば治るなどと効きもしない薬を売り付けるような事は、もっとも不正と言わなければならない。
 池田通産大臣が「統制であぶく銭を儲けた中小事業家が、正常経済への移り変わりに倒産するのはやむを得ない。その中で自殺する者が出来ても仕方がない」と言った事は、自由党の本当の腹を割ったわけで、敢えて異とするに足らない。
 そもそも自由党の精神がそこにあるので、政府は紡績、電気、炭鉱には救済融資をするが、中小企業には申し訳程度の事しかしておらない。
 その証拠には、地方にはびこる群小の日掛け金融会社が繁盛していることで分かる通り、中小企業等はつぶれても構わないと言う政府の、そのままのことを言ったのだから、池田通産相は正直者と褒められても良い。
 「なんともお気の毒で命にかけても救済に努力する」と口だけ言って何もしないのより、どれだけ良心的であったか知れない。
 ただ自由党にしては、当然のことを当然の如く言ったのかもしれないが、既に国民は吉田施政に満足していない、吉田ワンマンの交代を希望している動きが、この不信任案を成立せしめたわけであり、国民が小気味良いと拍手する所以でもある。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?