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愛は見返りを求めないというけれど

本当の『愛』は、もはや何一つ見返りを望まないところに始まるのだ

サン=テグジュペリ

彼氏の家に行く前に、何か食べ物を買ってあげようと思って、やっぱりやめた。
なぜか、何かしてあげたい気分にはならなかった。彼氏が好きなパン屋さんが見えたけど、これも、やっぱりやめにした。
家に行くと、彼はやはりご飯を食べてはなくて、まだ寝てた。
寝ぼけてる彼に,私が買いに行こうか?
と提案したら、ありがとう!と感謝されて、私はスーパーまで早歩きで歩くのだった。ひとりで。

その後、一緒にゲームをした。彼の番、わたしの番、彼の番。交互にゲームする。ゲームしてない方が、うわあ、とかすごいとか、笑ったりとか、反応してあげる。なかなか楽しい。
喉が渇いてきたと彼氏が言うから、彼にゲームを譲って、わたしはお茶をいれる。
彼氏はありがとう!と言う。

ゲームが終わったら、いちゃいちゃして、
その後、帰るねというと、
バイバイ,またねと言われた。
わたしは駅までの道を早歩きで歩く。ひとりだと音楽が聞けるから悪くはない。
悪くはないよね。

夜寝る前に,スマホを見ても連絡は来てなかった。
毎日おやすみ,とか付き合いたての頃は送ってくれてたのにな。ハートつきで。
私は,おやすみと絵文字付きで送って,布団に入る
明日の朝には,おはようのスタンプが返ってきていると思う。多分。

彼氏にもやもやしてしまう。
もっと,こうして欲しい,ああして欲しい,と思うことは山ほどあるが,なんとなく伝えられない。
実際に不満を伝えることもある。できるだけ可愛く。こうしてくれないと,寂しいなあ。悲しいなあ。って,可愛くいじけたフリして。
彼は,それを聞くとごめん!とすぐに謝るけれど,なんだか少し面倒くさそうに見える。
そんな感じだと,私の方も不満を伝えることが面倒くさくなってしまった。
まあ,別に伝えなくたっていいか。

私が我慢さえすれば。

どうしても,「私の方が」と思う。
私の方が,ご飯作っているし,
私の方が,連絡してるし,
私の方が,気を遣っているじゃん。いっつも。

恋は求めるものだけれど,愛は与えるものだ,という。
愛は見返りを求めない。
ということは,
私は,彼氏を「愛」していないのかな。

「見返りを求めない」って,「期待しない」ことと似ている。
見返りを求めないと聞くと,素敵だけれど,
期待しないと聞くと,なんだか悲しいのは何故だろう。

私は,これからも彼氏を好きでいたいと思うけれど,
なぜか,悲しい気持ちがして,つらくなった。

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