読書するのがめんどくさくなって

これは私が本を読めなくなってしまった話


小学生のとき

両親の仲が悪くって、家にいる時間がちょっと大変な時期がありました。

そんな小学生のとき、私は図書室マニアになりました。
放課後、図書室に行って毎日本を読む。
その頃は素晴らしい想像力を持っていたので、読書している間は、自分が物語の一員になったように没頭できました。
そして、集中して本を読んでいるときは、家のいやな雰囲気を感じずに済んだのでした。

中学生になって

中学生になって、図書委員になりました。
図書室好きは変わりませんから、例のごとく通いつめて、ついには生徒会の図書委員長になりました。
図書委員長になると、毎月「図書だより」を発行できるので、そこで偉そうに自分の好きな本を紹介していました。

本が大好きでしょうがなかった私は、いつか自分の図書館を作るのだと、将来の夢を決めたのも、この時期でした。

ところが、高校生になると

ところが、高校生になると、急に読めなくなりました。

スマホというキラキラした板を買ってもらい、それに夢中になったのか、
読書を趣味にすることが恥ずかしくなったのか、
よく覚えていませんが。

高校生は部活に受験勉強に忙しいから、あまり時間が無いんだ、
大学生になったら、自由な時間が増えるだろうし思う存分本を読もう、
そう心に決めていました。

そして大学生に

そして大学生になりました。
バイトをしてお金も少しあります。大学の帰り道に本屋に寄る時間もあります。

タイトルを見て、よしと思い、レジに持って行き、帰っておもむろに本を開いて、

気づくとすぐに閉じてしまう。

そうです。
私は読めなくなりました。

To Do リストに「読書」の欄を作ったり、一年の目標に「読書を習慣にする」と書いたりするようになりました。

こうして私はもう自然に読むことが出来なくなりました。

そして選ぶ本も昔とは違って意識の高そうな、それが鼻につくような、偉そうな本を買うようになりました。
そうすると、いよいよ本を読むことが面倒くさくなってしまったのでした。

でも、たまには

でも、たまに心が痛くて痛くて、自分が消えて無くなってしまいたいときに
私は本を買います。

最後まで読めないこともあるけど、
本を読むと、なんだか救われた気になるからです。

よく考えると、小さい頃から嫌な現実を逃避するために読書していたように思います。

だから、最近読めなくなったのは、
いま現実逃避したいことが少ないからだ、
恵まれているからだ、
と思うようにしました。

でも、やっぱり読書を私の人生から手放してしまうことは、とてもつらい事のように感じます。

少しずつまた、読めるようになるかな。
これからゆっくり上手に本と付き合っていけたら良いなあ。
そして、もっと素敵な本に出会いたいなあと思います。


こういう理由で私は、
本好きの人達が考えていることを覗いてみたい
と思ったのです。
そして私はnoteをダウンロードしてみたのでした。

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