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残夢【第一章】⑥子供

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山下の運転する車が駅に到着する前に被疑者は前崎東署員によって無事確保されたという無線を受信した。

「無駄足でしたね」

山下は悔しそうに言い、駅手前にあるコンビニエンスストアの駐車場にいったん車を滑り込ませた。
「無駄足なんてひとつもない。緊急配備キンパイにならなくて良かったじゃないか。戻るぞ」

戻ると言っているのに山下はエンジンを止め申し訳なさそうに俺を見た。
「ケンさん、巡回……いや巡回っていうか。ちょ、サシこんで。あぁ本当にすいません!」
山下は下腹部を押さえながらシートベルトを外し勢いよく車から降りて店に入って行った。

「ったく、ガキかよ」

朝から調子が悪そうだったので仕方ないが、そんなギリギリで現着してどうするつもりだったんだと呆れた。

自分も車を降りて外の空気を吸う。
前崎東駅は多少栄えているが、少し離れたこの付近は閑散としている。
どんよりとした日差しで気温は低いが冬と言われる季節になっても凍てつくような寒さを感じることは少なくなった。対照的にこの県の夏の外回りでは精神力も体力もとことん奪われる。

十二月でも手袋やマフラーは必要なく自分の吐く息も白くないなとぼんやりしていると、薄いジャージ姿で元気に自転車を漕いでいる男子高校生が目に入った。その男子学生は「おい、これ見ろよ」と興奮気味にコンビニ入り口付近にいた二人組に声をかけ、声をかけられたほうの高校生は「遅いよ」とややむくれている。

どうやら約束の時間に遅れてきた高校生は駅前の逮捕劇を動画に収めたらしい。すぐに動画鑑賞が始まった。

今の時代はとりあえず何でもかんでも動画撮影だ。自分のスマホを直接仲間に見せて喜ぶ分には構わないが、もしSNSに投稿するつもりならば、その前に本当にその情報が適切かどうか一瞬でも考えてからにして欲しい。映像に写った人物はまだ容疑の段階であって犯罪者ではないのだから。
「おおー」という小さな歓声を耳にすると心が少しだけ騒めく。

万がいち被疑者ではなかったら。万がいち警察官が確保時に失態でも犯していたら。いや、実際に犯していなくても一般人が見てそう受け取れる言動があったなら。そのようなキリトリをされたら。

まあいい。そんなことに気を揉んでも仕方がない。こちらに非がないのに矢面に立たされストレスのはけ口にされることなど慣れている。

コーヒーでも買おうかと店の入り口まで足を進めると男子学生のスマホ端末から被疑者と思える女の金切り声が耳に飛び込んできた。

≪私に触るなっ!≫ ≪汚らわしい≫ ≪たすけて!≫
こえー。キモ。と男子学生たちが笑いながら再度画面を見つめる。え、今なんて言ってた? と耳を傾け、「男、死ね」とか言ってない? まじか、あはは。男に捨てられたんじゃね? え、ババアじゃん。

盛り上がる声を脇目に店内に入り、コーヒーとホットレモンの会計を済ませたところで山下がやっと奥のトイレから出てきた。俺の手元を見て言う。

「あー。すいません。ゴチです」
「ばか言え。どっちも俺のだ」

マジすか、と笑う山下にペットボトルを手渡し「あいつらマル被を撮ったみたいだ」と自動ドアの外を顎で指し示す。
マジすか、と同じ単語を山下は吐き出し「見せてもらいますか?」と真剣な顔を向けた。

「んなもの見せてもらってどうすんだよ」
笑い返した時にはもう男子学生は自転車でどこかへ去って行くところだった。

「マル被はかなり暴れたみたいだな」
「へぇ。近堂は比較的静かでしたよね」
「そうだな」
「ベージュのコートって、きっと例の事件と関係ありますかね。それなら解決ですね」
「そうだな」

店を出るとき、入れ替わりに入ろうと走って来た若い女性とあやうくぶつかりそうになる。

駐車場には少し斜めに停められたワンボックス。今の女性か。彼女もトイレに急いでいたのかと歩を進めながら何気なく車の中に目をやるとエンジンがかけられたままの後部座席に幼児が眠っているのが目に入った。

足を止める。
「ケンさん、どうしました?」
「子供が乗ったままだ」
山下が中を覗き込む。

「あー。今の金髪ですね。一応注意しましょうか」
「一応じゃない。保護責任者遺棄罪だ」
「いや、すぐ戻ってくると思いますよ」
「エンジンがかかっているんだぞ」
「とめたら寒いですからね。鍵はかかってるかも」
「施錠していてもエンジンをかけたまま車を離れたら道交法違反、停止措置義務違反だ。それに万がいち子どもが起きて運転席を触ったりしたらどうするつもりだ。ベルトを自分で外せない年齢でもない。取り返しのつかないことになるぞ」
思わず語気が荒くなった。
「あー」
山下は困り顔をして頭をボリボリと掻く。

分かっているのかいないのか。曖昧な返事をした山下が鼻を軽く掻いてコンビニの中を見ると、女は既にレジで会計をしていた。
「ケンさん、僕がちゃんと注意しますから」
なぜか俺を宥めるようなポーズをとり山下は出入口まで女を迎えに行った。

後部座席の子どもは目を瞑っているがどこか苦しそうだ。悪い夢でも見ているのか、車内が暑いのか。
かつて一緒に生活していた自分の娘の面影と重なる。

山下が車に向かう女の横で説明する声は、優しすぎた。

たまたま目について心配になったこと、今日の気温で熱中症の危険はないがエンジンをかけたまま離れることは非常に危険であること、実は道交法違反であることなど。

母親と思われる女は山下を強く睨みつけて小走りで運転席のドアに近づき、無言で開錠しようとする。
その態度を見た俺は待ち構えていたように車の前方に立って警察手帳を見せた。女の顔から一瞬にして血の気が引く。

「法律違反だというのは今聞いていたよな」
女は急に頭をさげて「すみません」と呟いた。

「ケンさん」
山下が俺のそばに回り込んで手を押さえる。やめろということか。
「ここで逮捕するつもりも切符を切るつもりもない。だがな、」

俺が声を荒げると後部座席にいた幼児の目が覚めたのか、急に泣き声をあげた。女は慌てて後部ドアを開けて子供に「だいじょうぶだよ」と声をかける。

「すみませんでした。娘が熱を出して」
フロントガラス越しに助手席を見ると病院の薬袋が無造作に置かれている。女がレジ袋にも入れずに手に持っていた購入品は清涼飲料水とゼリー。

「ケンさん」
山下が再度俺を宥めにかかる。俺は山下の手を振りほどいて無言で自分の車に戻った。

山下が女にひと言ふた言なにか伝えたあと女の車はすぐに走り去り、山下も車に戻ってきた。
「さ。ホットレモンも奢ってもらっちゃったし。署に戻りますか」
おどけた調子の山下が車を発進させたが、後部座席に座っていた子供の泣き声が勝手に頭の中で再生されて離れない。

熱が出てつらいのか。置き去りにされて悲しかったのか。
そんなこと俺に分かるわけがないと、流れる外の景色を無言で見つめる。

「先輩にジュース奢ってもらうのは何の法にも触れないですよね?」
山下が笑いながら聞いてきた。
「経費で落とすわけではないし民間人から奢られたわけでもないんだ。何の法律違反だと言うんだ。嫌なら返せ」
「やですよ。あはは」
赤信号で止まると、山下はふっとため息をついてから小さく話し出す。

「さっきのママさん、靴下が左右違う色でしたね」
そう言えばサンダルを履いていたのを思い出し、あんな履物で運転すること自体危険で余計に腹が立った。だが靴下まで見ていない。それは流行っているのかと聞こうとしたが続きがありそうなので黙って耳を傾けた。

「具合の悪い子供がなんとか眠ったのに起こしたくなかったんでしょうね。家に子供だけ置いていく方が危ないし。でもポカリが家にないことに気付いた。ママさんは、慌てた」
「慌てているときほど事故が起こりやすい」
俺の言葉を無視して山下は続ける。
「スーパーやマツキヨだったらポカリが安く買える。独身時代は気にならなかったのに子供が産まれたらコンビニもユニクロも意外に高くて困る。だけど大きな店舗の駐車場車内にまさか子供を置いて行けない。だから病院帰り、目の前が駐車場の小さなコンビニを選んだ。値段は倍でも背に腹はかえられない」
「そう言ってたのか?」
山下はまた無視して続ける。
「旦那さんは帰りが夜中。親世代もまだ現役で働いているし実家は遠くて頼れない。子供は突然ふとんで吐く。すみません今日はパートを休みますと連絡をすれば、またかと散々文句を言われる」
「お前は誰の話をしているんだ」
「はは。この前、同級生にばったり会ったんですよ。高校の時の女子。赤ん坊抱えて『子育てなんてムリゲー』って笑ってました」

信号が変わり、山下はゆっくりと車を発進させる。
「話をすり替えるな。さっきの女は安いスーパーで子供を抱えて買い物をすればよかった。それだけだ」

「子どもを起こしたくなかったのは子供の具合が悪いからですよ。母親が楽をしたかったわけじゃない。もし店の中で吐いたりしたらどうするんですか。菌をまいたら店に大変な迷惑がかかる。ママさんが気にしているのは人目、人の目、世間の目」

「子どもが嫌がるからとベルトをせずに、事故って子供を殺す、バカな親が! 山ほどいる!」
俺は声を荒げた。

山下の言うことは一つも理解できない。なぜ安全策を取らない。なぜルールを守らない。何度悲劇を繰り返せば分かるんだ。
山下も負けじと声を出した。
「知ってます! それでもっ」

でも、だって、は加害者側の常套句だ。被害はなくならない。

「それでも、あの母親はがんばってます」

俺は呆れた。

山下は何を言っているんだ。頑張ればいいという類の話ではない。

「ケンさんみたいに原則にガチガチに当てはめて罰しても、誰も幸せにはなれません」

低いトーンの山下の声にいつもの車窓がゆっくりと流れた。

僅かに日差しは温かみを増し、すっかり葉の落ちた街路樹から降り注いで山下の顔を明るく照らす。
俺はゆっくりと口を開いた。
「原理原則を知っている者が、若者や幼き者に教えてやらないでどうするんだ。俺もお前も警察官だ。自分の役割を忘れるな」
静かに伝えると山下は進行方向を見つめたまま、素直に「はい」と返した。

左折すると鳩巻市民ホールの駐車場が広がる。年末には年越しコンサート、年始には成人式が行われるが今日は閉館日だろうか。
まばらに止まる自家用車を一台ずつ眺め、あの日の妻と娘の姿を俺は探した。

ここには居るはずのない二人の姿を。


「亀裂」へつづく ▶


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